そこを渡ったことのある交差点


 車窓から撮った写真を眺める。これは恵比寿の交差点だなとわかる。わかった理由は何だっけ?もう一度写真を見ると、左の方に恵比寿と言う字が見える。カラオケ屋の電飾。でもそれで恵比寿と決めつけたのかな?なんだか、あらためて考えると写っている建物などがわかった理由じゃなくて心もとない。写真を選びながら恵比寿と思ったのは、この写真の前後に写っていた駒からの推定もしていたのだろう。

 石田千著「あめりかむら」読了。いつもの石田千らしく、下町の優しい人たちの礼儀正しい暖かな日常、のような感じだ。よく思い出せば病気や死のことが忍ばせてあるのに、それを覆い隠して温もりがある。もっともスイッチをオフにしたあとにも残っている炬燵の暖かさのようで、保証のない温もりって感じがする。だから余計愛しいってところへ持っていかれるのか。大した事件も起きない。不平不満も日常によくある程度のことだ。
 この小説は芥川賞候補になっていたな、たしか、と思い、またもや暇つぶしにどんな評価だったのか調べてみたら、選者のこの小説への評価はおおむねよくない。しかしこの賞の選者って、山田詠美とか川上弘美とか・・・ええと誰でしたっけ?なんというか、選者の方々が書く小説を、ほかの選者が評価するとどうなのよ?そこまで偉そうによく言うよねって感じで笑ってしまう。そりゃあ、山田さんの書くものを読めば山田さんが石田さんの書くものを好きになるわけがないことはわかるよね。一方川上さんが書くものを読めば川上さんがある程度石田さんの書くものを評価するだろうこともわかる。そして山田さんの小説も川上さんの小説も素晴らしいのだろうが(私は山田さんの方は数冊しか読んでないのでなんとも言えないが)出来不出来はあって選ばれる方々の小説よりいつでも優れたものを書いているわけじゃないだろう。なんてあらためて賞のあり方の「無理」を感じてしまった。いまさらですが。
 例えば、小説を読んでいて、登場するAへの主人公の思いと比べ、Bへの思いのそっけなさが、私には違和感を覚える、って評価があったとする。いやなに、そんなのがあったから書いてるんですけどね。こう言うってことは、もしかして「事実は小説より奇なり」を否定して「予定調和的な物語の進行」をのみ容認するという危なさに接近してないかい?
 すいません「あめりかむら」が賞に値すると思って、だから文句を言っているわけではないのですよ。賞の選出のあり方の違和感と言うか「無理」に驚いたってことです。
 そういえば、石原さんは数年前に選者を降りたんだっけ?どうも候補作がどれもこれも値しないと思われたご様子で。あなたこそが時代に取り残されたことを露呈したような退席だった気がしないでもない感じで。

あめりかむら

あめりかむら