本を読むホテル


何年か前に、本または本屋を特集したなにかの雑誌に紹介されていた長野県の北の方にあるホテルに行く。読書をするための時間を提供することをコンセプトにしているという紹介だったと思う。実は昨夏も予約したが事情があってキャンセルしていた。そんなホテルを予約しキャンセルしたということ自体、もう忘れかけていたのだが、さて夏にどこに行こうと思ったときに、あそこでもない、ここでもない、と迷った挙句に、ふと思い出した。もっと行きたいところが出来ていれば、すっかり忘れていたのかもしれないが、こういうのって「縁」なのか。茅ヶ崎自宅を午前9時40分頃に出発、圏央道、関越、上信越自動車道、と、途中なんか所ものSAで休みながら、しかもどこぞで11時ころに長崎ちゃんぽんを食べ、どこぞで13時ころに高崎だるま弁当を食べ、という飽食状況で運転していく。最初にだるま弁当だったら、ついで長崎ちゃんぽんは食べなかっただろうな。空腹を覚えたからなにか食べたくなり、高坂だったかのSAでレストランに行ってメニューをためつすがめつ逡巡して、可もなく不可もなくてきに長崎ちゃんぽん。横川だったかな、釜飯と聞いては、ちゃんぽんで満腹でもここはひとつ食べておかねば、と思ったが、釜飯は売り切れていて、そのすぐ隣で売っていただるま弁当を買ったのだった。だるま弁当は、むかしむかし、もう四十年以上もまえに私の祖父母が前橋に住んでいたころに食べた思い出があった。懐かしさにかられると食べ過ぎになるということですね。
 ホテルは湖に面した森の中にぽつんとある。清家清設計らしい。館内は静か。森の中の遊歩道も誰もすれ違わなかった。読みかけの柴崎友香著「寝ても覚めても」をこの日の夜までに読了する。
 日本昔話を唐突に思い出す。ええと、どこぞにお供えされているお地蔵様だったか、貧しい人たちに毎日お供え物をいただいて大事にされている。別のお地蔵様は毎日ではないが、半年か一年に一度かの地蔵盆の日にだけ長者に豪華なお供えをいただける。というそれぞれのお地蔵様が、さてどうしたものか物語を忘れてしまったが、なにかの機会になにかを争う?うーん?お地蔵様が争うというのも変だからちょっと違うな・・・でも何か比較されるべき出来事があって、結果、一進一退となるものの、貧しいお地蔵様が、勝つ?のだった。というお話。
 ものすごく大好きな一目ぼれした男の子Aはいつか旅に出て姿を消す。そっくりな男の子Bが現れて、その子が「代用」なのか不明なまま、最初の意図とは関係なくいつのまにか好きになっている。やがてBとの暮らしを選ぼうとしている矢先にAが戻ってくる。さて主人公の女子はどうしたでしょうか?解説によればこの小説は「ホラーな」恋愛小説であり、柴崎友香は恐ろしい書き手と評される。
 柴崎友香はしょっちゅうカメラや写真のことを書いていて、いままで読んだ小説は、どうもそこの扱いや考え方が気に食わないのだった。しかも文章がぶっきらぼうにぶちぶち途切れるのも嫌いなのだ。そこはいまも嫌い。
 しかしこの「寝ても覚めても」は、写真やカメラに対する主人公の直感がなかなか奥深くて勉強になる・・・写真趣味の私と思うところは違うのだが、考えの深さが判って、そうかそういう風に感じるのか、と肯定できる。文章は相変わらず嫌いだが。
 主人公の友達が「信じることは疑うこともふくめて信じるっていうことねんで」とか言ったりする。大阪弁。嫌い嫌いと言いながら、芥川賞受賞作の庭の話だっけ、建物の話、やらなにやら五冊以上十冊未満読んできているが、シンパシーを全く感じないのについつい読んでしまうという「嫌いな」作家なのであった。