散歩者の憂鬱

f:id:misaki-taku:20200113164747j:plain昼過ぎに自転車に乗って出かける。目的地があるわけではないが、目的はあって、どこか静かな場所で珈琲を飲みながら読書をしたいということだ。それで結局はいつもの通り、まず茅ケ崎海岸まで行ってみる。暖かい春のような快晴の日。小さな子供を連れた家族連れが遊んでいる。サーファーも海にぷかぷか浮かんでいる。小学生の女の子たちが波打ち際で足首まで海水に浸りながら波に合わせて行ったり来たりしている。大きな犬を連れた人が小さな犬を二匹連れた人と話してる。防波堤に座ってスマートフォンをいじったり読書をしている人がちらほら。その「ちら」だか「ほら」だかになり、読みかけの本を小一時間読む。日の光にずっと当たっていると唇の皮がむけてきそうだから、それが心配になり、海を見ながらの読書はそこまでにする。それで1時半ころかな。

茅ケ崎市が管理しているらしい氷室椿庭園に行ってみる。年末に伊豆高原小室山の椿公園に行ったときと同様、花をつけている木は少ない。しかし葉に日が反射して椿園の散歩道はとても明るいのだった。そして誰もいない。ヒヨドリシジュウカラが鳴きかわしているだけだった。

海沿いの国道134号線と並行に少し内側に通っている通称「鉄砲通り」と呼ばれる市道(?)と茅ヶ崎駅からまっすぐ海に向かう通称「雄三通り」の交差点から少しだけ東へ行ったあたりの喫茶店に立ち寄り、また続きを読み進む。読んでいるのは、新刊で出たとき、何年前だろう、そのときには読んでいなかった村上春樹の「色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年」です。

そのカフェでは店主と常連客のほかは私だけ。あまりものが置かれていないストイックな空間。小さな音量で環境音楽風のピアノ曲が流れている。常連客と店主が仙台の話をしている。仙台、久しく行っていない。五年くらいまえに宇都宮に単身赴任していたころ、青春18切符で宇都宮から鈍行でひとり、仙台に行き、こんなに移動時間が掛かるのか!と驚いたことがあった。それで牡蠣小屋みたいなところで昼に牡蠣をたくさん食べて、夜には牛タンを食べて、ジャズ喫茶カウントに寄った。牡蠣と牛タンのあいだに雪が降ってくるなか、なんだかビルの二階か三階にある暗い喫茶店に行ったような気がするな。翌朝はきっとレトロ喫茶でモーニングを食べたのだろう、覚えてないけど。そして「火星」という単語が店名に入っている古書店に行ったんだっけ?

古書店・・・このブログを書き始めたのが十年くらい前かもしれない。もっとかな。そのころもいまも、こうして茅ケ崎市内を散歩して、たいていは海へ行き、古書店を回って、喫茶店に寄っていたのだろう。その古書店が、ブックオフを除いて、駅の周りだけでも四軒も五軒もあった。いまはほとんど無くなった。例えば田中小実昌著「港みなと」(みなとみなと?)は駅の南口側のM書店で偶然見つけて買ったと思う。M書店は入って右の奥の棚が面白かった。古書店がおおむね無くなったので、自転車でも徒歩でも散歩のときは、海へ行って珈琲を飲むだけになって古書店トロールが無くなった。散歩中の被写体も、よく撮っていたちょと古めの建物、すなわち私にとっては懐かしさを誘われる昭和50年代前後の住宅とかですが、これもおおむね建て替えられた感じ。十年前にはたくさんあったから家は30~40年で建て替えられるのが「平均」なのかな、と計算してみたり。

こう書いていると、だんだんと散歩を受け入れてくれる町と親しくなれる部分が、どんどんなくなっている。生まれ変わっていく町が「なつかしさ」から遠ざかるのは当たり前のことだろう。

カフェで食べた焼き林檎は注文してから焼くので時間が掛かる。店主は長野県産の林檎です、と言い添えて出来上がったそれをテーブルに置いた。それで川鍋祥子さんの写真集「そのにて」の林檎畑の写真を思い出したりしました。

なにかをきっかけになにかを思い出したり考えたりする。あ、当たり前だった。

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