まぁどうでもいいっちゃどうでもいいのだが、首相が奥様の旅行を弁護するのに、三密でなければいい、三つ重なってなければいい、と言ってるのをテレビで見てエッ!と思ったりする朝。三密が一番危険だろうけれど、二密でも一密でもできれば避けるべきだし、二密一密もその状態にある時間が長ければ、短時間三密に比べてもずっと危ないのだと理解していますが、違うのでしょうかね?そういうところがね、どうもはっきりわからないまま伝わっているのじゃないのかな?西浦北大教授にコロナ対策に限ってでいいから首相権限を委譲してほしいくらいだ。
ゼロ密の場所に行きましょう。
それでも季節は進み、雨が降ったり晴れたり、暖かい日が来たり寒くなったりしながら季節は進んでいく。今日は南風なのかな、ほかに誰もいない湘南平のテレビ塔から、相模湾に大きな波が入ってくるのが昇ったばかりの太陽の光を浴びてくっきりと見えるのだった。美しい。鶯の声が聞こえる、ほかにも種類がわからない小鳥が囀る。この季節によく聞くビーンビーンと鳴く鳥はなんだろうか。もう山吹の花も終わりに近づいていた。昨日の春の嵐で花びらが地面に散っていた。それを見て、急に時間が流れているという当たり前のことに意識が向いた。植物にとっては着々と年の繰り返しを進めているだけのことだ。それが時間というもので私もその時間に乗って生きているのだ。そんな当たり前のことに思いが及んだらなんだか背中がざわざわとした。
いつもは忘れていたことを思い出す。十八のころ、ふきのとう、というフォークデュオグループがあって「南風」という曲を歌っていたことを、南風が作る波を見て思い出した。ちょうど大学入試のころに流行っていた。三月のある日、いくつか受けたうちの某大学の合格発表を見に行って、その大学には落ちていて、がっかりして気持ちの収拾をつけるため帰り道に駅で三つ分くらいとぼとぼ歩いてしまったのだが、その日は風の強い暖かい日で、どこかからこの歌が流れてきたのだった。
今日ね、車に乗ってエンジンをかけると、ナビが日付とともに何の日かを言うんだけど「地図の日」だと言いましたね。
♪さっきから風が冷たい 雲のように 自由になれるはず
失ってしまったものは いつの間にか 地図になって
新しい場所へ 誘ってゆく♪
(くるり ジュビリー)
地図と聞いて思い出した歌詞。
ついでに
♪南風吹いたら 流れ雲流れて 本棚の写真帳 色あせたまま
陽だまりのかげろうに あなたを想いつつ
縁側でひとりぼっち ひなたぼっこ♪
(南風 ふきのとう)
70年代80年代の四畳半フォークはいっつもおセンチな歌詞だなぁ
杏さんが歌っているユーチューブが話題になっているが、加川良の教訓など当時の反戦フォークを今聞くと惹かれます。それだけでなく、なにを甘っちょろいことを歌っているんだ!とあまり好きでなかった90年代頃の応援ソング的なのも、この時代にはいいなと思ったりもした。ZARDの「負けないで」とかが・・・
最近休日はこうして人のいない時間と場所にちょこっと出るだけであとは自室にずっといるのですが、それで持っているけどあまり聞いてないCDを選んで聞いている。矢野顕子の「音楽堂」に入っている岡林信彦の曲をちょっといいなと思ったこともありました。
♪望みがこの大いなる 命の流れに沿うものなら
かなわぬ事がなぜあるだろう 実らぬことがなぜあるだろう♪
(嘆きの淵にある時も 岡林信康)