餃子と書かれた赤ちょうちん

 狭い路地、並んだ小さな飲食店、赤い提灯には「餃子」の文字。写真を見て、ちょっとこんな路地に飲みに行きたいと・・・・思いましたか?それは、こういう店は飲み屋であり、背中側にぎりぎりの余裕しかないような狭いカウンター席に座り、外は寒くて店内は暖かく、誰かの話になんとなく耳を傾けたり、ちょっとだけマスターと話したり、さて何を食べようか・・・ここは焦らず井の頭五郎のようにじっくり間違いなく食べるものを選びたいものだ、というようなことが経験として記憶されているから、アイコンのように写真が機能して「行きたい」という希望が生じるのだろう。違いますかね?

 よく見ると写真の一番右側に店の中の割りばしが写っています。そこがいい、と、自ら思う。

 餃子は「醤油+ラー油」「醤油+酢+ラー油」「酢+ラー油」「酢+胡椒」と様々なタレがありますね。「塩」もあるかもしれない。私は「酢+ラー油」がいいと思う、流行の?「酢+胡椒」が美味しいとはあまり思わない。ところで先日某所の、古民家カフェ風の店で、昼の餃子定食は五種類のタレから二つを選べるというシステムで、そのうちの一つに「焼きチーズ」というのを興味津々で選んでみたら、これだけはタレではなく、焼き餃子にチーズを置いて(少しなにか出汁のようなものに浸してある感じのチーズ)そこを火で炙り焦げ目を付けたようなものだった。チーズが餃子に貼り付いている。そして、こう書くと邪道のように読まれそうですが、これがとても美味しかった。

 70年代フォークにかぐや姫が歌った「赤ちょうちん」という曲がありました。四畳半フォークというやつ。「赤ちょうちんに誘われておでんをたくさん買いました」って歌詞、それは雨の夜。

 四畳半フォークは東京に出てきて、貧しいなかで四畳半一間のような小さなアパートで暮らす20歳前後の同棲カップルの、貧しいけれど愛と思いやりのあった、つかの間幸せな暮らしの瞬間のエピソードを、別れたあとに思い出し別れた相手に語り掛ける感じで歌われる、ちょっと情けない感じのウェットなフォークソングで、代表曲は「神田川」。それを打破していったのがユーミンなどのニューミュージックだった。以上、同時代的にそれを見てきた私の理解です。

 その頃に中学生高校生だった地方都市暮らしの私は、貧しいとか夢がどうのなんていうことには全く意識が行かず、ただ恋人が同棲しているというシチュエーションにキリキリ舞いした気分で憧れてましたね(笑)

写真はフイルムカメラのコンタックスT。Tシリーズ初代のマニュアルフォーカスカメラで撮りました。