海辺のカラス

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 カラスの方を見ないで歩いているとカラスは平然とそこにいる。カラスの方に顔を向けるとカラスは一斉に飛び立つ。カラスの方に顔を向けないで、カメラだけを向けると、カラスは半信半疑な感じで、あるものは一応リスクを取って、あるものはここはタカをっくって、飛んだり飛ばなかったりする。

昼下がりにカメラを持って海まで散歩する。砂浜は三々五々な感じで遊んでいる家族やグループがいる。日曜日の午後らしくのんびりしている。砂浜にいる人たちのマスク着用率は低い、海沿いの国道134より住宅地側に入ればみなマスクをしている。これは気分の問題が現れているのかしら。やはり家族や友達と遊びの真っただ中にいる(往路でも帰路でもない)ときにはマスクをせずにいたいものだろう。いいのかどうかは真面目に立てば「よくない」のだろうけれど。

ちょうど乗り合いの漁船が茅ヶ崎港に戻ったところでもあった。釣果は見えないが、みな楽しそうに笑っているから、きっと楽しい釣りが出来て釣果も上がったのだろう。

さらにぶらぶらと歩く。

カフェ・Oに寄る。ほかに誰も客がいない。店内は薄暗い。進んでいる秋を現しているような暗さ。そこで読書中の「浅田家!」を読み進んだ。3.11のあとほんの一年くらいまでのあいだに、それを題材にした写真集や小説本を見たり読んだりする機会がずいぶんとあったけれど、本当に被災していない写真家や小説家が(それぞれいろいろな真摯な思いで表現を発表したのだろうけれど)見せるべきもの書くべきものが、これで正しいのか、なんか違う気がするなぁということをずいぶん感じたものだった。いやなに、被災地でなかなか写真を撮れない浅田政志の場面を読んで、そんなことを思い出しました。