90年前の良き日

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数年前に従姉妹から古いネガを譲り受けた。送られてきたボール紙で出来た箱のなかには、たぶん1930年代中頃に撮られたと思われる、数十枚のセミ版(6×4.5cm)フイルムともう少し大きな6×9くらいのガラス乾板が数枚入っていた。受け取ってすぐにそのうちの二枚だけ、デジカメで接写して反転してからプリントを従姉妹に送っておいた。写真を送るときに、そのうちすべての駒を読み込んでみる予定、と書いたかもしれない。しかし結局はそれ以上はデジカメ接写を進めていなかった。昨日届いた従姉妹からの年賀状に、久々にその二枚の写真を見た、と書いてあった。見たことだけが書いてあって、その写真を見てどう思ったかが書いてあるわけでもない。あるいは、ほかの駒もプリントして欲しいと書いてあるわけでもない。

一昨年の冬~早春に家(マンション)の大規模リフォームをやったときに、部屋にあった一切合切を何箱もの、何十箱かな、段ボールに詰めた。もちろん捨てたものもあったのだろうが、再び開梱するときに捨てればいいからまずは詰めてしまえ、と言う感じだった。それは工事が入り始める予定日を勘違いしていて、もうすぐに片付けなければならないと気付いて慌てたからだ。リフォームが終わってから、その通りに段ボールを開けては不要なものを捨てたが、あまり断捨離が出来る質ではないようだ。ケチ臭いところもあって、ヤフーオークションとかメルカリで、持っている本やCDやポスターやレコードやその他の手放してもいいものの価値を調べて、意外な価値があると、では売ろうではないか、と思うのではなく、では持っていよう、と言う風になってしまうようだ。それでも、なにかのやんごとなき理由に押されてほとんどの段ボールはそのままではなくなっていた。例えば、テレワークのために部屋にPC操作をする小さな机と椅子を入れる必要が生じたときには、部屋の入口あたりに積まれていた段ボール二つをとうとう開けて整理して、不用なものは捨てた。それでテレワーク可能となったが、可能となると、まだ若干残っている整理すべきところはもうそのまま放置してしまう。構想はあっても必要に迫られないと進まないものだ。最近はテレビ番組を録画して保存しておくようなことは一切しなくなった。収集癖が薄れたのか。それでもそういう意欲があった頃にDVDに記録しておいた映画やらドキュメンタリーやライブの番組がたくさんある。ちょっとそういうのを見たくなったので、それが動機となり、テレワーク環境を作った昨年の4月か5月から半年以上経ってから久しぶりに片付けをしてみる、本棚の一番下段に段ボールに入れられたまま開封していない箱が二つある。これがリフォームのときに作った段ボール数十個の最後の二箱だ。開けてみたら、まだUSBメモリや外付けHDDが今ほど普及せず、かつ容量も小さかった頃に、自分の撮った写真を一生懸命CDーRに残していた、そのCD-Rが百枚どころではないな、もっとたくさん詰め込まれていた。いまはもう写真データはデジカメ最初期に撮ったものから、ぜんぶHDD複数台に残してある。なのでそのCD-Rに切れ目を入れて捨てることにする。等々で、二箱分のスペースが出来た。ついでに埃だらけのレコードプレーヤーを結線して稼働可能状態にしたが、かといってまだ回していない。たぶんグリスが固まるか劣化するかしてうまく回らないのではないか。

そんな風にあれこれ場所を変えたり、懐かしく眺めたり、捨てるために束ねたりしているうちに、そういう行為がなにか後押しになるのかどうか判らないけれど、従姉妹に二枚だけ送ったあのネガをもっとちゃんと見てみようと思い立った。一応部屋の再整理が終わって、相変わらず物が多くて床に置かれているものだらけなのだが、それでもちょっと清々しい気分だ。と、そうなったときにそう思い立ったのだった。

スマホをホワイトスクリーンにしてフイルムを置き、小さな額から抜いたガラス板で抑えてからコンデジのマクロモードでフイルムを接写した。しかしこのコンデジのマクロモードは周辺の像が甚だしく流れるのだった。本当はAPS-Cサイズセンサーのミラーレスカメラにマクロを付けて撮るのが良いのだが、もっとお手軽にすぐ横に放ってあったのでコンデジで「とりあえずだから」と、それで良しとしたのである。

そうして現れた・・・そう「現れた」と言う感じなのです・・・写真のうちの一枚が上の写真だった。

今日の午前には二宮に亡き父の墓参に行った。もう亡くなって20年になろうとしている。誰かが亡くなったときに、その誰かに「君が亡くなったあとも世の中は大して変わりもせずに同じように動いているよ」と伝えたくなったことが、父が亡くなったときよりもっと前にそう思ったことがあった。ところが父が亡くなったのはNYのテロの前日だったので、そう伝えたくなる「感じ」ではなかった。悲惨な事件なんか知らない方がいいのかもしれないが、悲惨かどうかとは別のところで世の中の変化を一緒に経験出来なくなっていることが、なんだかしみじみと言う感じだった。しみじみどうなのかは忘れたが、単純に「悲しい」ではなかった。

あぁ、そうなのか、午前に父の墓参に行ったこともこうして古い写真を見たくなった理由の一つだったのかもしれない。早くからやっているイオンビッグと言うスーパーで墓参の仏花を買ったのだった。しかしその花が少なくて、ちょっと足りない感じで残念だった。墓石に向かって「すまない」と呟いた。

箱根駅伝がやってくるので一号線が通行止めになる前に墓参を終えなければならない。そこで朝早くに出発した。自家用車の温度計は出発するときに1℃を示していた。寒い。寒いけれど、以前はもっと寒かったように思える。小学生のころには池に出来た氷の上に恐る恐る立つこともできた。この同じ地方でのことだ。でもそういうのは、特別に寒かった日の記憶が、冬全てがいまより寒かったと言うように記憶されているだけなのかもしれない。帰宅するときは7℃とか8℃になっていた。FM横浜のフューチャースケイプでは最後に流れた曲がジョニ・ミッチェルのモーニング・モーガンタウンと言う曲だった。いや、違うな。フューチャー・スケイプのあとにはじまった畠山美由紀の番組の最初の曲だった。知らなかった曲で素敵な曲だった。

この写真は叔母と叔父だろう。想定すると1936年頃の写真なのではないだろうか。場所はどこだろう?父の実家は石川県の金沢市で、この写真に写っているのが、私の推理通り叔母と叔父ならば、この叔父はいまも金沢市にいる。すると撮影場所は兼六園かしら。叔母の表情がいいですね。あ。でもこういう風に両手をだらりと下げて、微笑みながらも、ちょっと小生意気な感じ、どこか「どんなもんだい、いいだろう」と言う表情で写った写真がほかにも思い浮かぶ。それは私の妹が小さかったころの写真であり、さらには私の娘が小さかったころの写真にもあると思われた。

むかし撮られた写真を今見ていると、今の私と写真の新しい関係が「今」生まれていて、もうそれは単に古い写真ではないだろう。そして撮られたのが古いこの写真を今見ている私は、こうして昔のある日にも晴れた穏やかな日があって、春だろうか秋だろうか、きっと弱く風も吹いていて、それはそれは気持ちが良い好日なのだろう、と思うのだった。そして、不思議なことに、昨年だって今年だって、こういう日はやっぱりちゃんとやって来て、それはそれは気持ちがいい。しかしそういう日のなかに現実として私が属せているにもかかわらず、写真に写った昔の好日がとても羨ましく思えるのはなんでなんだろう。

この写真やほかに数枚、従姉妹に送ろうと思うが、はてさて忙しさに負けて、またそういうことを先伸ばしにしてしまいそうだ。