神保町から丸の内

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休日にプライベートの用事で公共交通機関を使って都内に出る。緊急事態宣言発令後初めての行動。密にならないように、小田急ロマンスカーやJRのグリーン車も使い、可能な移動は極力徒歩を選択。帰路、外出目的の神保町から東京駅まで歩いている途中に丸の内のたくさんの高層ビルによって直線で切り取られた空に上弦の月を見つける。暖かい。途中でセーターを脱いで、バッグに押し込んだ。五年前、十年前、二十年前、四十年前、それぞれと比べて丸の内や大手町の高層ビルはどう増えていき、その床面積はどう拡大したのだろう。丸ビルが建て替えられる前、いまほどセキュリティが厳しくなく、その旧丸ビルのオフィス階にもなんの制限もなく行くことができた。休日に行ったこともあった。小さな輸入商社らしい会社のドアの下に英字新聞が差し込まれていたりして、そういうのが絵になっていた。絵になったと感じるのがどういうことか?難しいですね。当時の社会的な背景と一般的感覚からする西欧への憧れと挑戦と怖気ずく感じの総体からそこを「絵になる」と見るような共通認識的感覚があったのだろう。真鍮のドアノブ、たくさんの手が触った階段のゆるやかなカーヴを描く手すりの滑らかさ・・・なんていうところが旧丸ビルにあったのかどうか覚えていないけれど、そういうのが共通認識として近代建築のオフィスビルにはあった。あのころ旧丸ビルで撮った写真もモノクロネガを探せばあるのだろうな・・・そのうち見直す機会もあるだろうか??思い返せば、丸ビルも新丸ビル日本郵政ビルも東京工業倶楽部も日本銀行協会も新橋の方でも大阪ビルとか、ビル内のアーチがきれいだったあのビルは何て言いましたか?新橋駅前にあった・・・三信ビルかな?近代建築探偵の本の情報をたよりに、ときには6×7カメラと三脚をもって、そういうビルを撮り歩いたものです。でもね、新しい丸の内の高層ビル街も嫌いじゃないんだな。上弦の月を見つけた直線で切り取られた空もらしくて悪くないと思って見上げている。そして上弦の月を見つけること、柳に新し芽が出ていること、強い風が吹き抜けていくこと、河津桜や梅や冬桜が咲いているのをビル街のあちこちに見つけること、そういうひとつひとつに対する敏感度が上がって、季節が動くことが、季節がどこからどこへ向かっているかという次元ではなく、宇宙のなかで地球が太陽の周りを公転していることによる気候の変化が見えることにちょっとホッとしている。

東京駅丸の内口前の広場には銅像があるのですね。ひとつ下の写真、銅像の背景がビルの隙間になるようにちょっと構図を探してしまいました。井上勝という人物の銅像だそう。日本発の鉄道施設に尽力をした明治初期の人物だそうだ。むかしは皇居の方を向いて置かれていたそうです。丸の内の工事中はどこかに保管されていて、2017年だかにこの位置に新しい東京駅の方を向いて置きなおされたと書いてありました、ウェブの記事によると。

ブローティガンの「アメリカの鱒釣り」にはベンジャミン・フランクリン銅像の話が出てくるのを思い出す。ベンジャミン・フランクリン銅像の立つワシントン広場ではある時刻になるとサンドイッチの無料配布が行われている。まぁこうまとめて書くと、なにか偉人の銅像をモチーフにアメリカの偉大な歴史を示していると同時にたぶんホームレスの人がサンドイッチにありつこうと集まってくる今の社会の対比を見せて社会の矛盾を告発している・・・なんていう解説が出来てしまうが、ちょっとそういう感じではないのですね。いろんな歴史というか人が生きてきました、そして今も。それだけをたださらっと描写している感じがする。井上勝もここから見える広場で行われている様子を眺めている(銅像が眺めるわけではないのだが・・・)。私はこの広場でどういうイベントが行われるのかは一つとして知らないけれど。

そのまた下の写真は気象庁の建物の前の松です。そして一番下は神保町を歩いていて見つけた閉鎖されたギャラリー。ビルが建て替えられるので昨年で閉鎖されたらしい。そこに傾いた光が差し込み赤い壁を照らしていた。

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