電車が駅近くの公園のすぐわきを通り過ぎる。車窓から眺めていると大勢の人が遊んでいていかにも春の日曜日の午後の光景だった。高速シャッターにしてカメラを動かして流し撮りをしたけれど、それでも像は不安定に流れてしまう。木々やフェンスに巻き付いた植物にさえぎられて、遊んでいる人たちは隠れてしまった。それでも写真に目を凝らしてみると10人くらいは人がいるのがわかる。
私は電車のなかにいて、彼らは公園にいて、時間軸のなかのある一瞬に、これだけの距離に接近してすぐに通過した。その瞬間に私と彼らは近くにいた。でもそうなのだろうか?果てしなく遠いその場所のその瞬間を、果てしなく遠いと感じるとても近い場所から一瞬だけ垣間見えただけな感じがする。それが憧れにもなるのかもしれない。
藤本涼さんという写真家の「クラウドフォーカスの行方」という写真集をたまたま書店で手にして、なんだかどうも気になってしまい、購入した。その写真集をめくりながらあれこれ考えている。考えたことはそのうちに書くかもしれない、書かないかもしれない。
ところで、この上の写真には「もどかしさ」があるだろうか。偶然「もどかしさ」が写っているかもしれないが、例えば「もどかしさ」を撮ろうと思う自分に自覚的になり、そういう写真を先鋭化して残すべく意識的にシリーズとして制作するようなことは、これはパワーとかではなく、人の性格、こだわりのことかもしれないですね。