待合室

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写真は横浜、みなとみらい線みなとみらい駅で撮ったんだったかな。もうちょっと手前にも人影があった方が良いように思うけれど、でも実はこの真ん中あたりが真っ白で人がいないというのも、そういう調和がない分、どこか近未来的な怖ろしさにつながっているのかもしれない。

明日、大腸内視鏡検査に行くため、今日は食べるものが制限されている。朝も昼も夜も、なにも塗っていない食パンとバナナとコーンスープを食べました。三食とも同じメニュー。すでに待合室で診察(検査)を待っている、どこか拘束されたような、不自由な気分になっている。それはどうだろう・・・。

何年か前に読んだことがあったけれど、その中身はすっかり忘れてしまっていた堀江敏幸著「めぐらし屋」を読んで、読み終わった。

夜にYOUTUBEに先日行われた写真新世紀2020グランプリ公開審査会がアップされていたのを見つけたので、半分ほど視聴。昨日、東京都写真美術館写真新世紀展を見たが、そこに展示してあったグランプリではなかったが金田剛という方の「M」と言う作品が気になったので、作家のプレゼンテーションを聞いてみたくなったということもあった。作品解説を読むと、写真作品を作るにあたり写真が発明された時代の仮想の天文学者Mを想定して、その人が見たであろうことやこういう風に天文学者としての研究を進めたのだろう、といった物語に沿って作品を作ったとあるので、写真では判らないその物語がどれくらい精緻に構築されていて、そしてそれでもあえてその物語は見せずに写真作品だけを提示したのか、などがプレゼンで明かされたのではないかと期待した。プレゼンでもその発想の解説はあったけれど想定した物語までは不明(明示されなかった)だった。写真が静謐でいかにも不在の人の痕跡を微かに、しかし確固として感じさせる。微かゆえに、Mという仮想天文学者の物語の気配はひしひしと感じることが出来た。と同時にもっとMのことを知りたいもどかしさがある。どこまで精緻にMの人生が創作されているのか?それを聞きたくなる。しかしそれを期待するのは写真作品から離れて、小説を期待することになってしまうかもしれない。

作品名の「M」はミクロとマクロの両方の頭のMからとったらしい。広大な宇宙(=マクロ)の写真に写った微かな星の光を拡大鏡で観察する(ミクロの観察)と言うことに作家は最初の面白さを感じたようだった。拡大鏡とそれを持つ指が真っ白に飛んで写り、その拡大鏡のレンズの向こうに覗かれた星の光の写真、の写真。Mの二重の頭文字。ちょっとミステリアスであることは作品の魅力に直結していると思う。

読み終わった堀江敏幸の文体にも通じるような精緻な感じがいい。