落とした枝

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たぶん、植木職人が入って梅(たぶん)の枝をすいたのだろう。落とされた枝を束ねると薪と呼ぶのかな。薪とは燃やすことが前提にある気がするな。そうするとこれは落とされた(落とした)枝ってことだろう。落とすではなくもっと適した単語がある気がする。剪定でしょ・・・すると切られた枝、かな。でもこの太さだと切るより落とすって感じもするな。などとどうでもいい(かどうかもわからないが)ことをだらだら考える。二宮金次郎は枝(木。幹かもしれない?)の向きを横方向にした束ねた薪を背負っている。レッドツェッペリンⅣのアルバムジャケットに描かれているおじさん?おじいさん?は縦に束ねた薪というより枝を背負っている。紫色の花はムスカリって言っただろうか。今日はあちこちでこの花を見かけた気がする。だれかが球根を植えたのだろうか。勝手に生えてくるものなのかな。レッドツェッペリンⅣのジャケットのおじいさんが背負っている枝はなにに使うんだろう?いや、こんなことはツェッペリンファンの方ならまったくもって誰でも知っていることなんだろうな。暖かいや。桜は、ニュースによると都内はもう満開と言っていたけれど、茅ケ崎の家のまわりはまだ半分も咲いていない感じだった。だけど気が付いたのはいろんな裸木だった樹木に新緑が出始めているってことだった。大きなソーセージとチーズがはさまったホットドッグをパン屋で買いました。オーブンか電子レンジで熱くしてから食べることを前提として売られているパンだった。食べると口の中に肉汁が広がる。小学生の低学年のころに野口英世の歴史絵本を持っていた。自分で「持って」いたという感覚ではなくて、与えられた本にそれがあったって感じ。でも物語はよく覚えてないですが、ただ、冒頭の方の場面で春の猪苗代沿いのカーヴの道を歩いていく鍬を担いでるだったかなにかを背負っただったか、道を歩く人が描かれた「春の絵」があった気がする。その絵のなかではそのカーヴの道を見下ろせる斜面に転がって昼寝をしている人も描かれていた。ぜんぶ、そんな「気がする」っていうくらいのものです。あの絵みたいなのどかな春の日。これが一週間もすると小さかった出始めたばかりの小さな葉ももうすぐに大きくなっているだろう。ゼロ歳児が5歳児くらいになる感じの成長だろう。大人になるのはもっと先。読みたい本が見つかるとついつい買っておくが、買うペースが読了ペースを上回っていると本が溜まる。自明だけれどね。なんだかつぶやきのような文章になってる。