フェンスの向こうのらーめん

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 緊急事態宣言の解除前までは20:00過ぎにこのラーメン店の前を通過すると、店はもう閉まっていて、この明るいライトも消されていて、この店はその代表に過ぎなくて、この先にあるケンタッキー・フライド・チキンやほかの店も同様に明かりを落としていたから、街は総じて暗かった。それがたぶん営業時間が一時間後倒しになって、こうして私がちょっとだけ遅くまで会社にいて、帰宅時間が遅くなった日、20:00過ぎて21:00にはなっていない時刻に、店は明るくなり、店内の密を避けるためなのか、たまたまなのか、店の外までらーめんをこれから食べるのだろう人の影が見えると、すなわち活気とはこういう景色の積み重ねから人の心に生まれるものなんだろうか、と思ったりする。

ああそうだ、私は夜に群衆の中に一人紛れて、その「安心の孤独」あるいは「孤独まがい」のような状態にいることが好きなのだった。そんなことを思い出した。一人で車を運転していて、夜で、まわりにも「それなり」に車がいて、好きな音楽を流しながら、あれこれいろいろと考えている。その状態を別の自分が「いいなあ~」とは思わないけれど、でも改めてよくよくその状態を考えると、けっこうそういう通勤帰りの状態は「悪くない」と思っているのかもしれないな。

誰かへの私信。

『この気分のようなことを、パラフィン紙に包んで、古びた文庫本のあいだに挟んで、こっそりと手渡ししたら、ひとりの夜にそれを見つけて、ちょっと微笑んでから、紙を開いて、その気分を受け取ってくれますか?賞味期限は特に設けてないですから。』

みたいな気分の気分の気分の気分。

ケンタッキーに寄ってみる。みなドライブスルーで商品を買うらしくドライブスルーラインには一台か二台か車がいた。が、私は車を降りて店に行ってみる。どうしても辛い味付けのものを頼む癖がありますね。一本だけ辛い味付けのチキンを買ってみました。