明日に架ける橋

 1970年代前半の話です。中学の音楽の授業で、音楽の先生の・・・いま思い出したのですが「あだな」が渋ちん・・・渋谷か渋井か渋川(敬称略)あるいはそれ以外の渋なんとかさんだったのかまで思い出せませんが・・・その渋ちんが、今日は音楽を鑑賞しましょう、といって音楽室にあったステレオ装置でLPレコードを聴かせてくれました。(ところでいまの音楽の授業ではどういうやり方で曲を聴くんだろう?)

 音楽の授業でクラシック音楽や合唱曲や、もしかすると伝統的な音楽や、世界のいろんな場所の音楽をみなで聴くことは、いかにも授業の一環という感じがするのですが、このときに渋ちんが聞かせてくれたのは、当時はまさに洋楽のヒットチャートの常連だったサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」でした。アート・ガーファンクルのきれいな高い声にすっかり魅了されたものですよ。

 渋ちんはテストでもサービス問題があって、いまあなたが一番好きな曲をなんでもいいから書きなさい、というものだった。テスト時間の前半でほとんどの問題に答えてしまっていた私は・・・当時はブラバンの部長で音楽は得意だったのです(いまは声が枯れて高い声が出なくなり、鼻歌でさえうまく歌えませんが)・・・残りの時間をずっとなにを書こうか悩んでいました。この話もこのブログを16年も続けているときっと過去のいつかに書いた気がしますが、結局答案用紙に書いたのはその当時チャートの上位を争っていたシカゴというロックバンドの「クエスチョンズ67/68」。こういうのって書いたことがきっかけになって、そのとき本当はその曲が心底好きだったわけでもなかっただろうに、その後は「長い夜」「サタデイ・イン・ザ・パーク」とともにずっと覚えているシカゴの曲になりましたね。高校に入ったころにはじめて買った洋楽のLPレコードはフィフス・ディメンションだったけれど、その次あたりに買ったのがシカゴのベスト盤だったのも、このとき書いた回答がきっかけだったんだと思います。

 上に「シカゴというロックバンド」と書いたのは、わたしと同世代の方々、もう少しあとの世代の方々も、シカゴというバンドのことは知っているのが当たり前だったんだけど、いまや通じない人も大勢いるだろうと思って書きました。というのも先日、わたしより二十くらい年下の同僚がプレイヤーを買ってLPを聴いてみたと言っていたので、うちにLPがたくさん残っているよ、という話から、70年代80年代にはいまほどすぐにコンサートのチケットが売り切れるほどコンサートに行くという娯楽が一般的ではなかったのか発売後に街のプレイガイドに行けば有名なバンドのチケットも買えたしなんなら当日券だって大抵あったんだよ、ということを言いました。すると同僚が「たとえばどんなバンド?」と聞くから、最初に浮かんだ「イーグルス」と答えたら、「だれですか?それ」と返されたのですね。そういうことなんだな、サイモンとガーファンクルもだいぶ知らない人が増えているんだろう。きっとビートルズストーンズは知っていても、シカゴやイーグルスレッド・ツェッペリンやクイーン、ましてやザ・バンドとかイエスとかフリートウッドマックとか、適当に分野もごちゃごちゃに思いつくままに書いていますが、世代的に知っていて当たり前のバンドを実はもう誰も知らないと思った方がいいんですね。クイーンはさすがにまだみなさん知っているかな。大好きなザ・バンドはガース・ハドソンだけが存命で、とうとうロビーも昨年亡くなってしまった。まぁそう考えるとストーンズはお化けですね。

 というように「明日に架ける橋」→「渋ちんのテスト」→「シカゴ」→「LPレコード」→「忘れられて行くバンド」→「ロビー・ロバートソンの訃報」と思いつくままに書いていますが、そもそもなんで最初に「明日に架ける橋」のことを書いたのか?これは本日にNHKテレビで放送していた「サラメシ」で、明石大橋だったかな、橋梁の建材の劣化度を点検する仕事の人が取材されていて、それを見ていたらバックにサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」が流れたということがきっかけでした。なんだかこの曲を耳にする回数がとても減っていて、久しぶりに聴いた気がしました。

 今年の春はたとえば梅の開花も一から二週間早いと聞きました(読んだのかな)。茅ケ崎市文化財に指定されている氷室家住宅の庭は氷室椿庭園になっていて、すごくたくさんの椿が植えられています。さすがに花が盛りとなるのは例年が3月中旬だから、早いとは言っても2月上旬ではまだそれほどは咲いていませんでしたが、中には紅侘助と木札に書いてあった椿などはまさに花の盛りだった。上の写真は紅侘助ではなくて、名前までいちいち憶えてないのですが、こんな風にひとつだけ赤い花が緑の中に咲いていました。来週はとっても暖かくなるそうです。