里帰りの列車

 2014年の12月に東かがわ市で撮影。フイルムで撮ってフイルムスキャナーで取り込んであった画像データを見直して拾い出す。普通に歩いて行く叔父さんだけど路地を右に折れる瞬間の左足が後ろに残った体形とか、画面左側の日の光がこっちに向かって反射しているところとか、ちょっと面白いんじゃないかなと思った次第。

 2022.12.23.の金曜日、寒い日。風がびゅうびゅうと吹いている。日本海側の都道府県では大雪になっているところもあるそうだ。私の父は石川県金沢市出身で、かの地は冬には市街地でも雪が積もることが多かった。その年によって積雪量はずいぶん違い、雪がない冬があるかと思えば、ずっと雪に埋もれる冬もある。私は神奈川県平塚市に2歳から18歳まで住んでいて、父の金沢への里帰りは年に一度か二度、新幹線開通前は夜に東海道線普通電車で小田原に行き、夜23:00頃に小田原駅に停車する夜行の急行に乗り、朝早くに米原で降りて、そこから北陸線に乗り換えて金沢に昼過ぎに着くという経路で大掛かりなものだった。もう一つの経路は上野経由の急行北陸でこれも夜行だった。東海道新幹線開通後は小田原から米原が新幹線こだま号で、北陸線の特急に乗り換えて行った。遠い分、行く回数が少なく、いとこたちが金沢には大勢いたが、一~二日の滞在では心が打ちとけて、心底一緒に遊びまくるということが、とくに小学校の中学年や高学年になると少なくなって、行くのが重荷に感じることもあった。ある冬、いとこたちは、市街地や玄関先の緩い路地の坂道に積もった雪で、竹スキーをして遊んでいたが、わたしはすぐにそれをうまく使いこなすことが出来ずに困ったものだった。

 あの頃は、米原から金沢までのあいだにあるいくつかの駅からさらにどこかへ向かう私鉄がいくつかあったと思う。父と二人で金沢へ行ったことも何度かあり、長い道中の鉄道車両内で隣に座ってなにを話していたのかなにも覚えていない。もうすぐ××駅通過で××駅にはSLがいるはずだから窓から写真を撮りたい私は、少し前から窓を開けてカメラのシャッター速度や絞りや距離リングをセットして、いざSLが見えたら逃さずに撮ろうと思って、準備万端にしていたら、父から風が入ってほかの人に迷惑だからまだ窓を開けるんじゃない、と言われたりしていた。きっと父は興味半分で、クラスに好きな女の子はいるのか?などと聞いたんじゃないかな。それは心の大半を占める目下の最重要項目だったりするから、むしろ「いないよ」と言うほかないのだった。

 写真とはぜんぜん関係ない話に逸れました。