大磯

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朝6時過ぎに大磯の港の駐車場に車を停めて、夏には大磯海水浴場となる、漁港の船溜まりに隣接した砂浜、そこに数年前に建てられた、たぶん津波避難のための三階建てくらいの櫓と言うのか・・・櫓以外の単語が浮かびませんが・・・そこにカメラを持って登ってみた。このあと雲は切れて快晴になったのだが、日の出の時間は空一面が低い雲に覆われている感じで、日の光などなにも望めないのだろうな、と思っていたのだが、思いのほか幻想的なオレンジ色の空になり、そのピークの数分を経て、色は淡く色あせて、やがて朝になった。カメラはフルフレームのミラーレスカメラで、35mmと50mmの単焦点に100-400mmのズームレンズの三本を持って行って、ああでもないこうでもないと、とっかえひっかえレンズを交換しながら写真を撮った。帰宅して、写真を眺めて、ブログにアップするための写真を決めるときには、こうして人が点景に写っている写真ばかりを選んでいる。撮っているときも、35mmのレンズで人を画面内のどこに置こうかをちょっと考えながら撮っているときがいちばん慣れ親しんだとでも言うのか、オートマチックに出来る撮影であって、100-400で茜雲をアップにしてみた頑張った写真も撮ったけれど、だからなに?って気がして、そういうのは自分の「撮り口」でも「選び口」でもないと思える。きっと風景写真の教科書的には下の写真のように画面の右側に船溜まりが中途半端に入っているのは良くない(興覚めな)ことなのかもしれないが、良くないも良いもなくて、これが私の目の前に現実にあった風景なのだからこれでいいのだ!と、言いたい(居直り?)が、そのくせ撮ったうちの多くの写真は、上のようにその船溜まりを避けて撮ってあった。

フイルムカメラの時代の80年代から90年代には、ジョエル・メイエロウィッツのコッド岬の写真集や、そのメイエロウィッツに影響を受けたと後書きで明言している野寺治孝さんの写真集「TOKYO BAY」(1996)に感化されて、自分では「SAGAMI BAY」と称して、富士の6×4.5cmかマミヤの6×7cmのカメラで、水平線と空のある写真を撮りためたりもしていた。メイエロウィッツにせよ野寺さんにせよ、あるいはゴールデン・ゲート・ブリッジのある風景を定点撮影したリチャード・ミズラックも、皆、8×10インチの大型ビューカメラで撮る、その撮影機材選択が、あるべき姿のひとつの条件のようなことだったろうから、そこまでは踏み込まずに8×10よりはずっと楽ちんな中版で良しとしつつ、それでも撮り口を真似をしてたわたしは、あくまで「なんちゃって」なのだったが。

でもメイエロウィッツのコッド岬の写真集「CAPE LIGHT」には人が点景で映っているコマも多い。ニューカラーの人たちは、100-400(相当)の望遠など使わないだろう。私の「撮り口」「選び口」が、ニューカラーに影響を受けているのは間違いない。そうは言っても、日本のコンポラにも、森山さんのアレブレにも、木村伊兵衛ブレッソンの決定的瞬間にも影響を受けている・・・結局鑑賞者たる私が、目の前に現れる、さまざまな写真/写真集を、これも良い、あれも良い、そっちも良い・・・と受け入れてきて、だから写真鑑賞趣味は面白いし、だから本棚が写真集だらけになるし、だから自分が写真を撮るときにはそんな様々な憧れの写真を参照してしまってなんちゃってが七変化しているに違いない。

それでも友人の何人かは、たくさんの写真の中から「これが岬さんの写真でしょ」と言い当てるから、七変化にも通して共通ななにかがあるんだろうか。

1980年頃かな(この話はこのブログの過去記事にも何度か書いているかもしれないですが)当時は東急田園都市線市が尾駅が最寄り駅だった会社の寮に住んでいて、休日に田園都市線一本で渋谷まで行き、当時パルコ3だったかな、その地下にあったように覚えているけど洋書の店があって、上記のメイエロウィッツの写真集はそこで手にして捲り、その場で雷で撃たれたように、感動というか言葉をなくすような感覚で立ち尽くし、もちろん購入して大事に抱きかかえるように寮に持ち帰ったものだった。たぶんニューカラーの写真集をはじめて見たのだった。ほかにもこういうように写真または写真集を目の前にして茫然と言葉をなくすような感じになったことは三回か四回あったけれど、そのうちの一つだ。渋谷から長津田行の半蔵門線田園都市線の電車は、二子玉川の手前で地上に出るまでのあいだ、三軒茶屋や池尻大橋を地下で走る。あのメイエロウィッツの写真集を抱えた二十代の私は、電車が地上に出るのにあわせ走行の騒音がふっと変わる、その瞬間を迎えるのが好きだった。写真集を持って、違う世界(宇宙)に、その瞬間、本当はただ電車が地上に出たっていうだけなんですけどね、違う世界(宇宙)に飛び出たように思えたものだった。

寮の窓の前に買った写真集を数冊並べておいたが、ある日の夕立で開いていた窓から雨が写真集を濡らした。いまも持っている「CAPE LIGHT」や、荒木の「わが愛・陽子」や須田一政の「風姿花伝」など、そのとき並べてあった写真集はみな水を吸ってゴワゴワになりいまでもページが波打っている。あのとき一生懸命ドライヤーで乾かしたのだが平面には戻らなかった。

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