数年前まで東北新幹線に乗る機会がとても多かった。会社の都内にある本社と栃木県宇都宮市にある事業所を行ったり来たりしていた。東北新幹線の窓から外を見ていて、それが桜が咲く数日の間のことだとすると、住宅街やビル街のなかに桜の花が満開に咲き誇った木がぽつぽつ見える。花の時期以外はそこに桜があったとはわからない。花の咲く数日だけ、桜が一斉に主張してくる。それを見ていて、私は「蜂起」と言う単語を思い出した。「隠れキリシタン」と言う単語を思い出した。花が終わると一斉に新緑が芽吹く。そうなるとそれは「蜂起」とかではなくて「パンデミック」だ。
新幹線の車窓と同じように少し高い窓から東京の街を見ている。朝日が昇り、闇に隠れていた街が大小さまざまな大きさの「建物」と言う「立方体ブロック」の連なりだと言うことが「明かされる」。太陽の方向を向いた建物の壁というのか面、それがきらきら光り始める。そういうダイナミックな光景の変化が起きるのが日の出の前後で、街を見ていて飽きない。でも写真を撮ってその一瞬の街を写真に固定してしまう、すなわち静止画ってことですが、そうすると実際に目で見ていたダイナミックさはなんか写らないですね。いや、風景というのは時間の流れで変化する様子を視覚だけでなく五感全部で感じていて、それが本当の風景なんだろう。静止画にそれを留めることはだから難しい。なのでこんな風にそれっぽく画像処理してしまった。
街を上から見ていると、よく、この街には大勢の人がいて、それぞれがそれぞれの人生の喜怒哀楽を生きているんだなあ・・・なんて感じておセンチになる・・・べき、と言う演出が小説やドラマの定型にある。でもこの街に人がいて・・・なんてことはあまり思えないのが現実。ただ見えてくる街に見とれている。
都会の朝 白石ありす作詞 小室等作曲
『厚いガラスのむこうに 白い河のような高速道路
音を刻まない街のかなたに 今日がただ急ぐよ
悲しみなんか忘れたように 都会の朝はいきづく』
『夜行バスは新宿へ向かう 眠気とともに灯りはきえてゆく
君の腕枕で眠る
夜行バスは新宿に着いた 予定より三十分早く
冬の真夜中のようさ』
『扉の陰で 息を殺した
かすかな言葉は さようなら
6時発の 貨物列車が
窓の彼方で ガタゴト
朝焼けが燃えているので 窓から招き入れると
笑いながら入り込んで来て 暗い顔を紅く染める
それで 救われる気持』
古い曲ばっかりです(笑)