パンク

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 朝、6:30少し前に会社の駐車場に自家用車で到着。居室へ行き、買ってきたおこわのおにぎりと豚汁を食べていたら、7:00頃に隣の席のKさんがやってきて、岬さんの車パンクしてますよ、と言われた。えっ!と驚いていたら、Kさんが、スペアタイヤは装備されてるか?と聞くので、たしかなかったと思うと答えると、それならランフラットタイヤなので走ることが可能だから、早目にディーラーかスタンドに持って行けばいいと教えてくださった。その後、10時過ぎに仕事を抜け出して、会社近くのガソリンスタンドまで行き、応急処置のパンク修理をしてもらう。けっこう太くて、思ったほどは長くない木ねじがタイヤに見事に刺さっていた。応急処置には10分くらいかかると言われ(実際には20分くらい掛かっていた)平日の午前の、片側一車線の歩道もないような通り沿いのガソリンスタンドで修理を待つあいだに待合室(でいいのか?自販機とか雑誌や新聞、何セットかの机とテーブル、清算カウンター、などがある)に入ってみる。ほかの客は一人もいなかった。そこに置かれていた読売新聞を手にして、新聞をこうしてめくって読むのが久しぶりであることに驚いた。でも久しぶりでも新聞をこう手にして、こうめくって、だいたい何枚めくるとスポーツとか国際とかの記事があって、という新聞を「扱う」ことはなにも衰えてはいないのだった。スポーツ面には、育成枠だかから這い上がろうとしている読売ジャイアンツの投手の、そのオーバースローの見事な投球ホームを真横から撮った写真が載っていた。選手の名前は忘れました。次に雑誌のなかから「最新の注目の日本酒」を特集にしたものを捲ってみる。

 フィリップ·トゥーサンの「カメラ」だったかな「浴室」かな、フランスの洒落た感じの「身勝手で理屈っぽいけど、なんか憎めず、なんとなく「運良く」都会で生きてます」って風な男が主人公の小説、また読んでみようかな……その小説の中に、エンジンが掛からなくなった車を、主人公が、恋が始まったばかりの恋人とその父親と三人でガソリンスタンドに持ち込み、すぐにはなおらず、車は置きっぱなしにして、さてどうやって家に帰ろうか?となり、なんか池のある公園の横を雨に打たれながらとぼとぼと地下鉄駅に向かって歩く、そう言う場面があったことが思い出される。小説を読んで、その字で書かれた物語が頭の中で映像として構築される度合いって、小説の…なんだろうか、それこそ物語や文体や、書き込まれたその状況の叙事的な情報量などで、さまざまなんだろう。読者が何歳のときにどういう環境や私的な状況の中でその本に遭遇したか、にも左右されるだろうし。まぁでもそんなことはさて置き、今日の午前、パンク修理を待っていると、トゥーサンの小説のこの場面がまるで映画で観たかのように映像的に浮かんでくるのだった。もちろんガソリンスタンドつながりで。小説でその日は雨だったが、たしか、今日はよく晴れた春の日だ。待合室に差し込んだ日の光が、さっき手にした読売新聞と手にしてないスポーツ新聞に降り注ぎ真ん中をガラス窓の枠が影になり横切っている。壁にはタイヤ交換やら外装のコーティングの宣伝の紙がたくさん貼ってあり、一枚は、貼ってある一つの角が剥がれて垂れ下がっている。ときどきスタンドの従業員がやってきて電話をしたり、なにかの書類を奥の方で確認したりしては出ていく。届いているワーゲンのワイパー、型番なんとかは誤配送ではないか?とどこかに言っているようだった。たいていは私一人で待合室にいて、窓から見ると小さなスタンドの割には修理や整備の車が持ち込まれることが多いのか敷地内に停められてる車が4台か5台か、多い。従業員が視界にいなくなると、あれ?世界で私が一人きりになってないか?!という子供の頃の留守番で感じていたようなことを感じたりもする。

 待合室にあった雑誌に紹介されていた日本酒で飲んだことあったのは、風の森くらいだった。でも最近は地元の神奈川の松みどりや泉橋って、これなかなか美味しいし、結局地元を推す気分てあるもので、そういうのたまに買ってしまう。脱線しました。

 やがてパンク修理が終わり11:20頃に居室に戻った。

 写真はこの文章とはなにも関係ないです。またもやむかしむかしに撮ってあったもの。新宿から中野まで歩いた日のようです。