西の空の積乱雲

 午後4時頃に茅ケ崎市から平塚市へと相模川を車で渡った。国道一号線の橋からは真正面に積乱雲が立ち上がっていた。渋滞の車の列は動いたり停まったりしていた。歩行者と自転車用の歩道を向こうへ走っていく自転車がシルエットになるまで数秒待ってからシャッターを押した。背の高い街灯のうえに、今日は鴎がいない。もうひとつ海側の国道134号線の橋ならば鴎がいるのだろうか。さっきまでUSBメモリーに入れた音楽データからフジファブリックの茜色の夕日が流れていたが、その曲が終わった。アルバムの最後の曲だったらしく、アルバム単位でリピートなしで聴いていたので、音楽が終わった。雲を見るのに夢中になっていて、しばらくは音楽が流れていないことに気が付かなかった。音楽が流れていないことに気が付いたときに、このままなにも流さなくてもいいや、とふと思った。それから窓を開けてみた。遠くに救急車のサイレンが聞こえた。あとは渋滞していない反対車線を走って行く車の走行音が聞こえた。この橋の左側下流には数十メートルの距離を挟んでJR東海道線の鉄橋がある。のろのろしながら橋を渡りきるまでに、一度か二度、15両編成の東海道線普通電車が通過していく、その鉄路の響く音は予想外に大きな音だった。電車は渋滞している車の列を尻目に、大きな音を残して、すぐに遠くへと進んでいった。今朝は4:00過ぎに一回起きたのだが、夏至の頃にはもう明るかったその時刻に外はうすぼんやりとしてまだ暗かった。明け方、自室の窓の下、マンションの玄関横のつつじの植え込みから早くもコオロギやエンマコオロギが羽根をすり合わせて鳴いているのが聞こえた。暑い真昼間はまだまだ真夏のまんまだけれど、いやむしろ真夏は勢いを増しているようにさえ思えるけれど、朝早く、ひっそりと秋が息づき始めた。恐竜が全盛だったころに、どこか隅っこで目立たないように哺乳類が誕生してきたときのようだ。フジ・ファブリックの上記の曲の歌詞では、茜色(上の写真の2時間後には少し茜色になっただろうか)の夕日を眺めていたら、少し思い出すものがあった、と歌詞がはじまって、その最初の思い出したこととして「晴れた心の日曜の朝に、誰もいない道を歩いたこと」と歌われる。この歌詞に引っ張って来る思い出の一例が、まったくもって特別ではない感じがいい。でも歌詞を歌う「僕」にとっては、日曜の朝に誰もいない道を歩いたことなど、ほかには一回もなくて、そのときの「晴れた心」は特別な心の状態だったから、このことはすごく大事なこととして思い出されているのだろう。

 夏のあいだ、マンションの階段、両側を壁で囲まれた内階段には階段の電灯に誘われた虫が迷い込み、ふたたび外に出るすべが判らずに落ちていたり止まっていたり、バタバタ飛んでは壁にぶつかったりしている。そういう虫は目だないマイナーな小さな蛾やカナブンであることが多い。子供が小さかった頃に、マンションに迷い込んだ虫を撮影して、それを図鑑などで名前を調べて、実際にどういう環境やどういう種類の草木を好んできたかなどの生態知ったうえで、その環境がマンションの周辺のどこにあるかをさがして地図を作る、という、虫から始まる近所の環境分析、というのは面白いのではないかと思った。そこで、夏休みの研究にと提案したが、虫など気持ち悪い、と却下されたんじゃなかったか・・・あるいはそれを見越して提案を見送ったか?今日も見たことがないような黄色っぽい小さな蛾が止まっていた。

 もし私が茜色の夕日を眺めたら、なにを思い出すんだろう。私の思い出の多くはそのときに撮った写真の画像がサムネイルのようになっていて、そこから思い出すことばかりだ。写真依存症だ。しかも茜色の夕日から晴れた心の日曜日の朝のことを思い出すなんて難しい。どうしても夕暮れ時のことを思い出しそうだ。

 けっこういろいろと厳しい出来事が起きます。エンジン警告灯点灯なんかよりずっと。

 ちなみにエンジン警告灯に関しては地元のMazdaが夏季休業中なので、横浜のMazdaに電話して診てもらえました。今日はもうこうして修理した車の運転ができた。