「おや」とおもい一目だけ見る

 昨日の日曜日、少し伸び放題になっていた髪を切るため、午後5:00過ぎに自転車で茅ヶ崎駅近くの床屋へ行ったのだが、玄関を出たときに、西の方に見えた富士山の上の雲が綺麗だったので、一旦部屋に戻り、望遠側の焦点距離がフルサイズ換算600mmになる1インチセンサーのデジタルカメラを持ち出し、マンションの階段を上り、電信柱や電線が空や雲に被らない上層階から写真を撮った。上の写真をよく見ると、富士山の右側にマンションの影が見える。もっと右へカメラを振ってしまうと、マンションが空に掛かって見えてくるし、左は私のいるマンションの壁が現れるので、これが「所謂風景写真として撮るときの現実的な唯一の画角です。

 こういうちょっといつもよりは綺麗な風景を見つけると、興奮とまでは言わないけど、ちょいと高揚してしまって、床屋へ行く前にカメラを持ち出して五枚か十枚か写真を撮る。そして撮ったあとに、必ず、このブログにも何回か書いたと思う、必ず吉行淳之介の「街角の煙草屋までの旅」というエッセイを思い出す。私の持っている単行本、講談社の昭和54年版のP57に『私は風景に興味がないわけではない。むしろ関心があるのだが、この件に関しては私の頭の中に写真機のフィルムのようなものが入っていて、チラと見ればそれで済む。「風景」がそこに焼き付いてしまって、適当なときに思い出せばよいことになる。』とあり、そのあとにカナダ旅行でバスガイドの青年が「想像を絶する眺め」だと言って花畑で有無を言わさず降りることになったときは「いやだいやだ」と思ったという話が続き、さらに『東京でも、ときおり不思議な「想像を絶する」色合いの夕日や夕焼け空を見ることがあって、そういうときには「おや」とおもい一目だけ見る。』とある。

 この文章を思い出すと、いつもよりちょっとくらい綺麗な色合いの夕焼けだからと言って、いちいち高揚してカメラを持ってきて、なんかかっこいい成果(写真)を撮ろうと右往左往しながらぱちぱちと写真を撮ることのなんとかっこ悪いことか!と言われているような気分になる。チラと見て、おやと思い、それで覚えておけばよい。そんな程度のことなのだ、と。そう思うと、こうしてここに写真を載せているものの、なんだかダサいなあという思いが拭えない。拭えないのに載せているからもっとダサい。吉行さんがそんなこと書いたから・・・まったくもう・・・(笑)

 

 テレビでは新宿の小田急百貨店が昨日で営業を終了したというニュースを流している。2029年に48階建ての高層ビルになるそうだが、相変わらず都心のターミナル都市に高層オフィスビルを建てて、ちゃんと全室埋まる時代なのだろうかと思ってしまう。働き方が変わって地方分散型のテレワークが混在する方がいいように思うが、不動産業界としては、それは困るってことなんだろうか。どうせなら最上階から空飛ぶドローンタクシーが発着するように設計しておくのが「先を見越す」ってことかもしれないですね。