徐々にだったり急だったり

 写真は8/18の夜に茅ケ崎の「近所」から「駅の辺り」を散歩したときの写真です。私が茅ケ崎に横浜市緑区から引っ越してきたのは1989年で、当時はフイルムカメラ、ライツミノルタCLとかコンタックスTとかオリンパスXAなどの比較的小さなカメラを会社のバッグに必ず入れておき、一日に一枚以上は写真を撮ろうと意識的になっていた。フイルムはモノクロのトライXなどで。平日、朝や昼は写真を撮る余裕がないから、帰宅する途中の東海道線や駅から家までの道筋の途中が主たる被写体だった。道筋の両側に建っている商店やビルは、三十三年のうちにずいぶん変わったが、それは「ずいぶん変わった」とも書ける一方で「大して変わらない」とも書ける。このトタンの倉庫?やブロック塀、その先のトタン屋根の小さな会社の事務所かな?さらに歩道橋、これは全部、三十三年前と同じだと思う。ここには写っていないがこの先の左側には市の「旧い方の」体育館がいまもあって使われている。デザインが昭和40年代っぽい小さな体育館だ。歩道橋の向こうに小さく写っている高層マンションはもちろんなかった。ゴルフの打ちっ放し場や工場があったと思う。街灯はこんなオレンジ色ではなかっただろうな、覚えていないけれど。この写真の百メートル弱後方には入り口のガラスの引き戸に夏目漱石の顔のイラストが大きく描かれた、だけど店内に猛犬がいて結局中に入れないじゃないか!という誰も客の来ない古本屋がずっと仕舞屋の風情であったけれど、この一年くらいのあいだにとうとう整地され何軒かの一般住宅になった。

 時間は平等に流れる。茅ケ崎に来て二十年経ったころだろうか、市の文化会館でジャズピアノの山本剛のコンサートが開催されたので聴きに行った。山本剛のアルバムは自分が二十歳前後にスリーブラインドマイスという日本のマイナーなジャズのレーベルからずいぶん発売されていて、とくに「ミスティ」はよく聞いた。女性ジャズボーカルの安田南の「サニー」も演奏は山本剛トリオだったかもしれない。私にも二十年の年月が流れているのに、自分の頭のなかにある山本剛は、最後にその演奏を聴いた1983年頃の六本木のボディ&ソウルというライブハウスでの演奏の姿そのままで更新されていなかったから、舞台に登場した三十年経ったピアニストを見たときに、あぁー時間は均等に流れ、若い頃夢中になったロックでもジャズでも小説家でも詩人でも、そのときのその人のたたずまい含めて、まぁ大きく言えば「アイドル」だった、その人たちも「老けるんだなあ」という当たり前のことに驚愕した。(山本さん、そんな例に挙げてしまいすいません)

 山本剛のライブスケジュールを見るといまも活発に演奏をされていらっしゃるようだ。LIFEというアルバムに入っている「これからの人生(What are you doing the rest of your life?)」、Mistyに入っていたんだと思う「煙が目に沁みる」、81年くらいの高音質をうたったLPに入っていた「too shy to say」、安田南が歌った「sunny」。ずいぶん聴きました。

 父が亡くなったのは2001年の9月10日だった。その日の夜に亡くなった父に向かって、大丈夫、世の中は同じように続いていくから安心してください、などと思った。茅ヶ崎駅のバスターミナルに並びながらいつものバスやタクシーの流れを見てそう思ったのだ。だけど、その翌日にNYでテロが起きて、世の中そんなに甘くないな、と思い知らされた。この話はこのブログのいつかの記事にも書いたかもしれない。

 時間が流れると、徐々にだったり急だったり、さまざまだけどいずれ世の中は見た目も考え方も社会システムも、なんらか変わるものだ。暮らしの標準も、スマホの次に手に持たないコミニュケーションツールが現れて(例えばいま皆さんがよく使っているワイヤレスイヤホンのようなものとミックスリアリティ的な眼鏡とか???)駆逐された電話ボックスのようにスマホだって駆逐されると過去を振り返る限り将来はそうなるのは確実で、だけど若い人に限ってその想像をあまりしないで今を生きているんじゃないか。

 21日の日曜日はその日にブログを書いてアップする余裕がちょっとなさそうなので、この文章は20日に書いたものです。予約投稿をセットします。

 

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