今日のこと

 テレワークの昼休みに、歩いてもほんの3分の場所にあるテイクアウトパスタの店まで自転車で1分以内で行き、冷製パスタを買ってくる。めんたいこと小さく刻んだトマトとブロッコリーのパスタだった。テイクアウトパスタの店のすぐ隣にはパン屋があるので寄り、オレンジピールクリームチーズの入った平たいパンをひとつ。それらを緑色のショッピングバッグに入れて、家に戻る。パスタには刻んだにんにくがたっぷり入っていた。今日は母の通院の日で、午後に母の入っている施設に行く予定があり、すなわち施設の職員さんたちとも会って会話をするから、口がにんにく臭くなるのが心配になった。それで二回も歯を磨いてみる。

 母は病院へ行くことをかたくなに拒む。転んで大腿骨の関節を骨折したので、金属の、チタンかな、人工骨頭にした。昨夏のこと、7月の中頃だったか。もう90歳目の前だが、回復が早く執刀してくれた外科医を驚かせたものだが、認知症状で自分が骨折入院したことも、歩くと足が痛いことも、すぐに忘れて、すぐにまた歩こうとしていたから、かえってそれがリハビリになって回復が早かったのではないか、などとも思うが、わからない。

 母がどこまでを理解し、なにを覚えていて、そのときどきにどういう気持ちを持つのか、言動から推し量るしかないが、その病気になったこともないからそういう「ではないか」という想像も外れていることが多いんだろうな。かたくなに拒むから、妹が病院に電話をする。とくに異常はないことを短く報告し、今後は定期の状態検査はあきらめて、異変が起きたときだけ連絡するということになったようだ。妹が電話をしているのは施設の玄関を出たすぐ横に置いてある木製のベンチで、わたしもその隣に腰掛けている。施設の南側には、私が高校生の頃にはもう建っていた、そして一時期叔母一家が住んでいた三階か四階建てくらいの公団アパートに似た作りの集合住宅が二棟だけ建っている。大きく育った棕櫚の木がアパートと施設のあいだに植えてある。大きな葉が「ゆさゆさ」伸びている。

 帰り、国道一号線で相模川を渡るときには、自家用車のフロントガラス越しにすぐ横の歩行者自転車用歩道を自転車が走っているのが見える。通学の女子高校生だろうか、制服を着て、橋を平塚市側から東へ、茅ケ崎市側へと自転車で渡っている。雨の日も強い風の日も、女子高校生は橋を渡るのだろうか?そのときはそれが当たり前で、そのときは大して大変だと思わずに、あとから思い出すとずいぶんと大変だった、などと思うのか。それとももう今もそう思っていて、雨や風の日には自転車ではなくバスを選ぶのだろうか。そんなことを一瞬だけ考える。

 前を行く引っ越しトラックに載せられた小さなテーブルの表の板が後ろを向いて載せられているせいで、赤信号になると、そのテーブルにマジックで書かれた落書きが読める。××くん大好きだよ、ありがとう、いつまでも好きだよ、そんなことが書かれているらしい。赤い文字でハートのマークもあった。××くんは転勤で遠くに行くのかしら、と思う。村上春樹のなにかの小説で、遠距離恋愛の二人が、たまに会う、二日間か三日間のあいだに、遠距離でないカップルがもっと長い時間かけてやっていることを圧縮してまとめてやっている、といったような場面が出てきた・・・かしら?

 晴れているがうっすら雲が覆う空。家に戻り、近くのクリエイト(薬のチェーン)に行ってみる。最近は、眠りが浅く長く眠れない、眠ればいいのに眠れない結果、今度は午後になると、14:00頃に猛烈に眠くなる。そこで栄養ドリンクとかサプリのあたりを見る。アリナミンNIGHT RECOVERというのの三本セットを買ってみる。帰宅して若隆景が宇良に勝つのを見てよしよしと思い、照ノ富士が必死に挑む貴景勝を下すのを見て、強!と思う。

 先日、友人からいただいた「リヴァーズ・オブ・ハピネス」というブラスバンドのCDを掛けてみる。演奏はエクレム&ジプシー・グルーヴスwithタスコ・コイコヴィッチという全く知らないバンドとトランぺッター。セルビアの音楽だそうだ。西アジアというのか東ヨーロッパというのか、それっぽいというのは大変失礼なことだが、知識のない私にはそれっぽいとしかわからない、それっぽい旋律の曲が続くのだった。CDの裏面に貼り付けられているような日本人による日本語のライナー・ノーツの最後には「「希望」を音楽にしたら、それはトランペットの音がするに違いない」とあった。それで、そうだろうか?と思う。明るい傾いた夕陽があたりをオレンジ色に染める気持ちの良い港町の桟橋に夕焼けを見ようと三々五々人々が集まって来る。みな楽し気で幸せそうで夢に満ちているような表情で。そういう光景が音楽を聴いている最中に浮かんだことがあったんだ。あれは三十年以上前の草月ホールで聴いた、向井滋春がソロで吹いたトロンボーン演奏を聴いたときだった。あれは「希望」の演奏だったと思う。でもそのあとJJやカーティス・フラーや、当の向井さんのCDを買ったが、収められているのはブルージーなジャズばかりで、そういう光景の浮かぶ演奏を見つけることは出来なかった。このアルバムのジャケットには太って腹の出っ張った短髪の男が金管楽器を吹いている写真が使われているが、なぜかみなぴちぴちで小さな海水パンツ一丁で波打ち際で海に(川かも)入っているのだ。セルビアの人ならこのジャケット写真の意味するところがなにかわかるのだろうか。なにかの祭りだとか。

 写真は2008年に吉祥寺で撮ったファイルから拾い出してみました。なんで歯ブラシが2本立ててある青いコップがショウウインドウに飾られていたのか?生活用品の店だろうか?そしてなぜそんな場所を撮ったのか?あるいはこの黒と白の犬の飼い主は、最初に黒を飼っていれば次に白を、最初に白を飼っていれば次に黒を、と思って二頭を飼うことにしたのかな。犬同士、相手の色が自分とはぜんぜん違うと思うのだろうか。この場面なら今でも撮るだろうな。この写真に関して言えば、過去の私の気持ちを今の私は理解できる。