朝五時前の本棚

 朝、四時半に目が覚める。ゆっくりと開けた目に自室の本棚がぼんやり見える。外はまだ暗く、カーテンを開けても部屋は暗いままだった。トイレに行きまた眠ろうとしたが、そのときにぼんやりと目に入った本棚を、そのぼんやり見える通り(のイメージで)写真に撮ろうと思ってしまった。そこでコンデジを持ち出してベッドの上に座り、膝の上にカメラを置いて、なるべくぶれないように、と撮ってみたが、真っ暗のままでなにも写らない。プログラムオートで使う最低シャッター速度が1秒になっていて、それでは絞り開放にしISOをこれも設定してある上限の数字まで目一杯上げても、露出は不足してるようだ。それでなんとか目に見る印象で本棚の写真を撮ってみようと、それなりの熱意が生じて、コンデジの設定のあれこれを変更しているうちに目が覚めてしまった。上の写真はシャッター速度を6秒くらいにして、ベッドの上に座って膝を抱えるようにした、その膝にカメラを置き、左右に動かないように気を付けながら、露光中の6秒のあいだに故意にカメラを上下に何往復かさせて撮った。露出も適正から2段くらい暗くなるようにセット。これが近視眼で眼鏡を外している状態の私が、8/27のまだ暗い朝の時間に、ぼんやりと目を開けて、今日一番最初(の頃)に目に入った本棚の光景なのだった。そのうちにちゃんとぶれていない写真も撮っておこうと思った。上の写真より少し焦点距離を長くして、実はLEDランタンを暗めに付けて、かつそれを布でくるんでもっと暗めにして、右下に置いて撮ったものです(下の写真)。う~ん、これは、寝る前に、部屋の天井の蛍光灯は消して、枕元の読書灯だけにし、眠くなるまで読書をしようと思ったときに見える光景に近い。たいていは二ページも読まないうちに眠りに落ちてしまうのだが。写真に写っている範囲は7割くらいが写真集または写真関連の書籍。一番下から一つ上の列、恥ずかしながら(笑)ビタミン剤のQ&PGOLDαPREMIUMや、絵本の「かさもっておむかえ」がこちらに向けて立てかけてある段は本の手前になんだかごちゃごちゃと物が置かれているその奥に単行本があり、さらにその下の段は概ね文庫本だ。

 こんなにたくさんの本があり(本棚はさらに右に続いている)、読んだときに感動したり勉強になったり面白かったり、なんらかの理由で残しておきたい本が、年をとると否応なく溜まってしまう。意識的に減らさない限り、勝手にはきれいに減ってはくれないだろう。30代40代の頃はけっこう図書館を使っていたのだが・・・。そして、そんな風な「愛読書」のような理由で残してある本たちのうち、ではこのあと私が再読することが出来る本がどれだけあるのだろう。仮にあと15年か、ここはサービスして20年、読書可能な体力と体調と知力が残存していたとしても、どうしたって読むのは9割は初めて読む本だろうから、そうするとせいぜい再読するのは100冊しかないんじゃないか。とか思うとぞっとするし怖いものだ。せめて写真集は毎日一冊引っ張り出して眺めようか。

 そんなことを考えているうちに再度眠りに落ちてしまい、次に起きたら8:30を過ぎていました。今日の土曜日は都内で、百々俊二・新・武写真展、木村伊兵衛写真展、柳原美咲写真展、大和田良写真展を観て回る。百々親子展は品川のキヤノンギャラリーSで。私より10歳年上の百々俊二さんが60~70年代に撮った、日本の若者が政治に対していまよりずっと声を上げ態度で示していた青春、反戦と米軍基地反対を叫びながら、それなのに欧米とくに米国のあれこれに憧れている、その気分が街の看板にも写真家の切り取る場面にもなんとなく現れている時代。その気分も含めて撮ったアレブレのモノクロ写真が展示され、会場にブルースが流れていると、なんだかブルースに合わせて足先でリズムをとるようにして写真を眺めてしまい、かっこいいなと思う。猫にまたたびのように『岬たくに「60-70年代のアレブレモノクロ写真」』という感じだった。

下の写真は百々俊二さんの展示