カケラに過ぎない「ここではないどこかへ」

 昨日のブログに1951年発売のレンズを最新のデジタルカメラに装着して夜の散歩をしたことを書いた。実際に昨日のブログに書いた散歩をしたのは月曜日の9/5のことだった。在宅勤務の日は、ずっと家にいてなにも運動しないで終わってしまいかねない。そうならないように少し億劫だなと思いつつも、頑張って外に出る感じだ。夕方まではウェブ会議があることが多く、そのあと夕食を食べるから、ひとやすみしてから外に出るのはずいぶん遅い時刻になっている。早くて20時過ぎといったところだ。昨日のブログに書いた9/5の夜は家の周りの、畑と住宅街が交じり合っていてそこに県道が一本、あとは細い路地ばかりという場所を歩いた。翌日9/6火曜日も夜の散歩に出た。今度は古いレンズではなく、2013年頃に発売された40mmのレンズを装着した。

 夜のNHKテレビの天気予報士は「今日(9/6の夜)は蒸し暑く熱帯夜になるだろう」と告げる。アナウンサーたちが、9月とはいえ熱帯夜になるので熱中症に気を付けてください、と言っていた。だけど実際に外に出てみたら気持ちの良い南風が吹き続けていて、とても気持ちが良い夜だ。湘南地方の真夏には昼間に海風(南風)が吹く。夜になると凪いで、気温は昼間より下がるにせよ、体感は夜の方が暑いときも多い。真夏であれば風が止まっている時刻に、強い風が路地を抜けて南から北へと抜けて行くのは、それだけのことでも、わくわくしてこれから歩く気持ちが煽られる、一方で、なにか不吉なことの前触れを感じるようなざわざわした気持ちも起きる。家を出たときに、今日はどんなところを歩こうかと思い、いくつかのコースを思い描く。暗い中にぽつんとある店に人が集っているような場面を見たいと思う。それはコロナ禍の前には当たり前にあった光景なのだろうが。そして私自身は傍観者としてそこに入ってそこにいる人と話して笑って飲みかわすようなことはせず、一コマの写真を撮ったら、逃げるようにそこからまた歩き出すのに。そんな場面を撮ることが出来そうなコースならここを進んであそこを曲がって駅まで至って・・・そしてぐるりと回って帰宅すれば、一時間半で8000歩くらいだろうか。だけど実際に歩き始めると、そういうそれなりの理屈で定めたコースなどもういつからか歩いていないのだ。それは交差点に出たときに、予定した左折ではなく右折した先になんとなく気になる店の灯りが見えたりするからだろう。街を歩きだしてしまえば、気の向くままというわけだ。

 だけど夜の街に人が少なかった。都心まで出勤や登校して、また電車でこの夜の時刻に茅ヶ崎駅に戻って来た人たちが駅からそれぞれの家に向かう道を歩いて行く、あるいは自転車で走って行く。カメラをぶらさげてゆっくりきょろきょろ歩いている私は彼らにどんどん抜かれていた。少ないと言っても、最近できたお洒落な焼き鳥屋のカウンター席は一人客かせいぜい三人客くらいでかなり埋まっていたし、高級焼き肉店には長い髪の女性がワイシャツを着た若い男と二人で並んで座っている。しかし大衆居酒屋、何十人の客が二人、四人、十人とグループとなってたくさんやって来て、威勢のいい声の店員に促されて、なにはともあれとりあえず生!と答えているような店がガラガラのようだ。もしかすると暗い夜の道沿いにぽつんと一軒、赤ちょうちんを風に揺らしているような店が写真に撮れるかもしれないと思ったが、歩いて行くと店はおおむねもう閉店していた。そして海まであと10分だったので、もうここまで来たら海を見てこようと思った。

 サザンオールスターズaikoがライブをやった茅ケ崎市営球場の横の道を海の方へ歩く。海沿いの国道134号線を歩道橋で渡る。数十年前までこの国道と野球場横の市道の角にはボーリング場があって、いまはマンションだ。サザンのコンサートのときこの歩道橋の上はすし詰めの人が集まっていて、立ち止まらないようにと交通整理が大声で指示していた。演奏する姿は見えなくとも音楽は全部漏れて聴こえてきたものだ。

 歩道橋を上がり国道を渡ると、防砂林の松の枝の隙間からきらきらと光る海面が見えて、その美しさに思わず声が出た。ちょうと海の真正面(相模湾のこの場所で言えば真南)に上限の月が掛かっていて、その下によく言う月の道が出来ていた。月に照らされてそこだけ明るく見える道に当たる海面は波があってわさわさと動いている。海沿いのサイクリングおよびウォーキング専門の車の入れない遊歩道から何枚か写真を撮った。暗いと少し怖い。スマホの灯りをオンにして少し真っ暗な遊歩道を歩くこともした。着いたときに海と月を見ながらストレッチをしている白いランニングシャツを着た細い年配女性がいたから会釈をする。そのあと彼女が帰ってしまい、もう誰もいなかった。防砂林をはさんでほんの10m向こうには車がひっきりなしに行き交っているのに、ここには本当に誰ひとりいなかった。

 もちろん真正面に月の道がある写真も撮ったが、昨日のブログに載せた写真を撮った1951年の35mmではなく少しだけ画角が狭い40mmだったので光る道と月が同時にきれいに画角におさまらず両方を入れようとするとなんだかぱっつんぱっつんに詰まった構図になってしまう。これなら24mmや28mmの方が向いているのだが、持ってこなかったからそんなことはどうでもいい。何枚か撮ったら、撮るのはもういいから、しばらく波の音を聞いていた。

 そのうちに目が暗闇にもっと慣れてきて、良く見えるようになる。すると正面の月の道よりも左側、三浦半島方面の水平線上に低い雲がずらっと並んでいるのが見えた。あぁなんだかこれ、ここではないどこかに誘われる感じだなと思った。

 この写真のように小さく遠いところにある雲、俯瞰した平野を走って行く遠く小さく見える列車・・・だけどそこにいるとその列車だけが動いているからそこに注視してしまう・・・。あるいは上空の飛行音が聞こえないほど高い空を陽の光を受けて白く輝いて飛んでいく遠くて小さくしか見えない旅客機。もう暗くなる寸前の暮れ行く空を悠々と沖の方へ飛んでいく大きなカモメ(大きいけど遠いから小さくなって消えていく)。こういう遠いところにあって小さく見えるものに旅心をくすぐられる。

 暗い中にひっそりと列を成して砂漠を越えて進もうとしている駱駝の隊列を雲を見ているうちに思い浮かべた。ほんのカケラに過ぎない、若いころはカケラではなくピカピカだったのだろう「ここではないどこかへ」行こうとする意欲。暗い中で慣れてきた目が見つけた雲が、そんなことを思い出させた。