懐かしんで一体どうするんだ

 例によって、一年前の同じ月に撮った写真を見てみた。たしかにあの日はここに行き、あそこに行き、誰かに会い、そのあとに・・・と行動をなんとなく覚えている日がある。写真がたくさん撮られているから行動を追うことが出来る。もし写真がなかったり、数枚しか撮られてなかったら、行動履歴を思い出すことは出来ない。と、こう書くと写真によって思い出せないことが思い出せることは「いいことだ」と短絡的にはそんな風に思う。このブログには長ったらしい文章を・・・とくに今年は文章量が増えてしまったがとくに意識的にそうしているわけでもないのだが・・・書いているけれど、あんまりその日の出来事を順を追って記録しているという文章ではないのだから、写真を撮られた順番に眺めることが、私にとってはまさにそれが日記を読み返すようであり、よく言う「ライフログ」ということかもしれない。

 一年くらい前に撮った写真から拾い出したのが上の写真で、東海道線横浜駅を出発し、進行方向に向かって左の窓から外を見ていると、京浜東北線の電車が、横浜駅までは並走していたのがこうして線路が別れて、大きく左へと曲がって行くのが見える。そのステンレスの車体に傾いた日の光が当たって光っている。線路が分岐するところを見るのは、線路がただまっすぐに進んでいるよりもなんというか「旅情」を感じる。旅情を感じるのは風景が抒情的だということなのか。まっすぐよりもよほど湿っぽくてドラマがあるような風景だ。この数駅先の藤沢駅を出たところでも横須賀線や私鉄の小田急電鉄の線路が複雑に交差しては分かれて行く。

 よく人と人の関係に例えて、いままでは手を取り合うように一緒に並走してきたけれど、もうここから二本の線路は離れ離れになるように、向かう場所が違ってしまう、それぞれの巣立ちの時だ、と言って、昔ならば仰げば尊しを歌ったりした。

 だけどね、この京浜東北線はこのあと石川町や関内や山手や根岸や磯子港南台や本郷台を通ったあとに大船駅に行き着くが、東海道線もその大船駅が二つ先なのだった。どうです、これは、なかなかいいでしょ(笑)

 いまは写真に写っている京浜東北線桜木町や関内という駅のあたりでは開発がすっかり進み観光やショッピングの街区のように変わったみなとみらい地区をの西側を走る。開発が一気に進んだのは30年くらい前のことで、その前は、いわゆる港湾地区の殺風景が支配していた。引き込み線とか倉庫街とかがあって、むかしからあるレンガ作りの建物が打ち捨てられるようにしてあった。さすがに30年前に蒸気機関車はもう全廃されていたが、横浜駅から京浜東北線に乗って少し行くと高架になるそこからは扇型の機関車の車庫や転車台が見えたものだ。根っからの横浜出身のアベちゃんと、その30年前くらい前にどこかへ向かうときに一緒に京浜東北線に乗っていて、かれはみなとみらい地区がどんどん開発され生まれかわっていくことに対して、ずっと横浜にいる僕らは変わらないで欲しいと思う気持ちもあるんですよ、と言っていた。

 街は総じて今より暗くて、ブルースやジャズが似合っていて、暗闇に紛れていろんな悪だくみや、たいてい実現しない夢物語があって、それがはじけて。宇崎竜童が港のヨーコの歌に歌ったような。同じトランペットの練習をするにしてもいまのみなとみらいよりあの頃のみなとみらいの古びた雑草が生えた倉庫街の方が音楽が湿気を帯びて大人の色気を纏ったんじゃないかと思えた。そうそう、その悪だくみや夢物語は当事者はすごく真剣になにかに抗い、なにかと争っていたけれど、その抗いや争い自体に滑稽さを伴っていたのは、フランスヌーベルバーグの映画も滑稽さがあるのと似ていたな。昭和の時代のこと。懐かしんで一体どうするっていうんだ!あほらしい。