バケツと傘とフェンス

 小学6年生のときの同級生だった青木くんは、一人っきりになる時間が好きで、放課後近くの公園で草野球をしたり、鉄棒をしたり、秘密基地作りに参加していても、ふといなくなって、例えば広場の片隅に捨ててあった空のドラム缶の中に入ってしまう。ドラム缶に入って両膝を畳んで両手で抱え込み、頭を反らすと、丸く空が見えるんだよと言った。当たり前のことだけれど、彼が言うと特別なことのように思えた。ドラム缶の中から見上げた空にだけUFOを見たよ、とも言っていた。青木くんの誕生日は7月27日で、彼は「僕の誕生日はボーイング727と同じ」と言ったから、忘れていない。ボーイング727は1964年から路線就航をはじめた三発機で、日本でも1965年くらいから1979年頃まで盛んに使われていたそうだ。青木君がそう言ったのは1970年のことだ。ドラム缶と言えば、話は唐突に飛ぶが、つげ義春の「李さん一家」でドラム缶風呂が描かれていた。李さんの奥さんはよくドラム缶風呂でのぼせて目を回してしまう。すると李さんと僕が、裸の奥さんをドラム缶風呂から引き上げなけらばならない、そんな場面があった。青木君や私のクラスは6年3組で担任はたぶん30歳くらいの熊沢先生だった。となりの2組の担任は50歳くらいの山田先生だった。山田先生は厳格だった。1970年頃のことだから悪さをした児童にはビンタは普通だったし、廊下に立たされることもあった。ある日、山田先生のクラスで誰かが怒られてビンタを食らっているのを廊下から青木くんが見ていた。私もちらっと見ていた。ほかに何人も見ていた。山田先生がそのクラスの子供を叱責したあとに、突然廊下の方を向いた。みんなが一斉に逃げたが青木くんだけがそこにずっと立っていた。山田先生が青木くんに、誰かが怒られているのを見て笑うとはなにごとだ!と言って、二発か三発かビンタをした。青木くんは泣きながら帰って行った。すると自分のクラスの子供を殴るのはやりすぎだ!と熊沢先生が山田先生に詰め寄った。私は、ほかの子供と同じくささっと逃げたけれど、本当は青木くんと同様に隣のクラスで怒られている子の様子を見ていた。もちろん野次馬気分だった。そのうち青木君以外にそこにいた子供が洗い出されるんじゃないかと気が気ではなかった。泣きながら一人で歩いて行く青木君の後ろ姿を見ていて、でも彼になにかを話しかけることは出来なかった。山田先生と熊沢先生がその後どうこの件を処置したのかは知らない。青木君とはたまに話す仲だったけれど、この事件のあと、なんとなく疎遠になった。

 上の上の写真は代々木から代々木上原駅までの散歩で撮った写真。ドラム缶のことを書いたけれど、これはプラスチックの蓋つきのバケツで、ドラム缶じゃない。ここは駐車場だろうか?どうしてスペースのど真ん中にプラスチックのバケツが置かれているのか?駐車スペースだけれど、この家の人はここを駐車場にはしていないのかもしれない。だけど真ん中にバケツが一つだけあるのは「定常状態」ではなく「仮の姿」なんじゃないか。ゴミを入れるバケツなのだろうか?中に青木君が隠れてはいないだろう、第一これだと空もUFOも見えそうもない。

 上の下の写真には傘が写っている。ベランダの手すりに持ち手が引っ掛けてあるが傘の本体は家屋側ではなく外側にある。この家の人が拡げて干したいという意思は感じられない。きれいに畳まれてぐるりとバンドがまかれて縛ってある。この家の方の傘なのか、誰か外で話していた人が置いて行ったものなのか。傘が気になる。誰かがここで立ち話をして、傘を引っ掛けたまま忘れて行ったのかもしれない。「最近旅客機の航路が変わって午後になると上空をずいぶん飛んでいくからうるさくってたまらない」「だけどそれよりね、駅からの坂道の左側にまた珈琲豆を売る店が出来てさ」「へえところでね、M金物屋の長男、勘当されて北海道だかに行ったって聞いてたけど最近ちゃっかりいるわよね・・・」なんて話をして、じゃぁねと別れるときに引っ掛けた傘を忘れる。だけどそういう井戸端情報交換会をやるおばちゃんはこんな青い傘はあんまり使わないかもしれない。

 下の写真は白いアパート、奥に向かって三軒くらいあるだろうか、そういうアパートの一階の庭が見えた。こちらの家と向こうの家を仕切るところにアールデコ風の模様が組まれた金属製のフェンスが見える。手前の草か低木に隠れてその先端部だけが見える。庭はどの家も雑草が生えるに任せているようだ。フェンスのアールデコ模様は錆び付いている。自分がもっと年が若い頃に、仮にここに住んでいたらどんな暮らしをしただろうか?同じアパートの住人が仲良くなり、なにかひとつのことをやろうとする、なんていう典型的な青春ドラマがあったらいいな。あるいは、隣には花が好きな女性が住んでいて、私は木について詳しくて、私は花について女性から、女性は木について私から教えてもらう、そんな風なのがいいな。だけど実際は日当たりが悪くてドクダミがたくさん咲きそうだ。冬には日がささなくなるのかもしれない。子供のころ、ドクダミはそこかしこにあって、花の頃の独特の匂いはでも嫌いじゃなかった。

 人は写っていないけれど、人のいる物語がそこに置かれている物によって感じられる。そんな写真三枚でした。