ずっと前のこと

 一週間前の写真を見ているとそれがもっとずっと前のような気がする。だけどいつもそうだとは限らない。今日はこの写真をここに使いながらそう感じたが、ときには、一週間前の写真なのに二~三日前のことのように感じるかもしれない。こう書くとなにか人の心の複雑さに起因しているようにも思えるし、そういうところもあるのだろう。一週間同じような日々が続くこともあれば、一週間のあいだに色んな(言い方がおおげさかもしれないけれど)思いもよらなかった不測の事態が起きることもある。だけど、もしかするとそんなことも、また更に後日になると、同じ一つの年のことに収れんしていくかもしれない。とにもかくにも、一週間前に撮った写真、東京都現代美術館で撮った写真を眺めながら、ずっと前のような気がした。だけど上に書いたような「人の心の複雑さ」や「そのあいだに起きた出来事」がそういう思いを決めていることよりも、もっと単純に、今日の気候と一週間前の気候に、大きな差があるかどうかというだけ・・・「だけ」とまでは言い切らないけれど・・・大きな差があると、ずっと前のような気になるのかもしれない。

 やはり季節が進むなかで、夏が終わり秋が来て、秋が来て朝晩は涼しくなり、日の出は遅くなり、日の入りは早くなり、そうであっても、昼間が暑く日差しが強ければ、まだ夏と同じじゃないかと思う・・・というより「思いたい」ところが私には、たぶん、ある。だけど、昨日の午後から接近してきた台風によって雨が降りはじめて、今日は朝からずっと雨が降ったり止んだりしている。降ったり止んだりと書くと、なんだかまだ優しい雨のように思えるが、降るときは凄い雨量だ。雨量と書いたけれど、窓から外を見ていると、風がないせいか、真上からまっすぐ落下してくる雨粒の密度が濃くて、落下速度が速い。それが剣呑な印象を与える。

 先日、代々木上原駅近くの古本屋で買った高山羽根子著「暗闇にレンズ」を読んでいる。積読本を十数冊(もしかすると数十冊)抜かして先に読んでいるのは、買ってすぐにカフェで読み始めたからだけれど、物語は複数(主に二つのようではあるが)の違う時代の話が交錯していて、最初の40ページ50ページはなかなか物語に入り込めない。戻ったり、最初から斜め読みで補強して、理解をしながら読み進める。若い頃の読書はもっとすっと物語に入れた気がする。読む速度も遅い。だけど速度とか理解とかで焦燥していたら読書も楽しめない。100ページを超えたあたりからちょっと面白くなってきた。

 Spotifyで音楽を聴く。誰かのブログに書いてあったバンドの曲を聴き、そのバンドの曲を含む似たような曲を集めてあるのかな、そういうのを流しっぱなしにしていると気になる曲が現れる。それでアマゾンで検索してみて、今日の場合は買わないけれどコメント書き込みを読むことはある。今度はアマゾンのそのページに、このバンドのアルバムを買った人はこんなバンドも聴いているようですよ、という別のアルバムが紹介されている。そのうちにceroというバンドの「街の報せ」という曲に出会う。その曲がいいなと思う。雨音が聞こえる窓辺にSpotifyを再生しているスマホを置いて、またちょっと本を読み進む。だけど、こう書くとなんだかすごくリラックスしているようにも読めるが、雨で行くところも思いつかず家にいるのは、前も書いたかもしれないけれど「空席待ち」をしているような気分だ。