ちっぽけでもちっぽけでない愛

 明日の金曜からの三連休はまたもや、すなわち先週の三連休に引き続き、雨模様の予報になっている。だけど、雨予報だからといって、それが理由でつまらないわけじゃないだろう。ではなんでなんだかつまらないのか・・・・ぱっとしない、やる気が起きない、どうでもいいや・・・という投げやりというより無気力な気分から抜け出せない。

 読書中の本はつまらない。だけど私は読みだした本は最後まで読み切るべし、というこだわりがあるから、とにかくあと1/5くらい読み切りたいが、つまらないから読むのが義務のように感じられ、苦しい。

 気分が乗らないけれど、上の写真なんかは、昨日まではなにも心に引っ掛かっていなかった「多くの使えない写真のなかの一枚」だったが、さっき写真を見直していたそのときに急に気になった一枚だった。写真を選ぶことにおいては、こんなのを選ぶ自分がちょっと面白い。こんなに広く空を入れてあり、その広さを撮ったように見えるけれど、実際はここより下に向けると、ごちゃごちゃ近くの「写したくないもの」が入ってしまうから、いやいや上に向けて撮ったのだろう。だから広く空をなどというかっこいい作画意図なんかなかったのだ。南風で潮が霧のようになり視界が霞む。ひとつまえの台風が風と波を強めていた。そして今度の熱低だか台風だかがまたやって来るそうだ。ぱっとしない種明かしだ。

 写真を見ながら思う。遠くが霞んで見えにくいけれど、でも見失わないようにしよう。あきらめなければ、いつかまた澄んで視界が開けた日もやってくるだろう。どうでもいいとか投げやりになるのはやめよう。ちゃんと伝わるように素直になろう。

 そうなるともう写真から飛翔した思いが巡り始める。

 ひとつひとつはみなちっぽけだろうか。ちっぽけな望み、わがままな望みは、くだらないものだろうか。ちっぽけであっても、全部がちっぽけで、ちっぽけだけが集まったって大きな姿に見えることもある。ちっぽけな望みが大事なことだってある。ちっぽけだから捨ててよいというものじゃない。それに当てはまる究極的な単語を探せば愛だ。