そんなこんなの水曜日

 村上春樹の「納屋を焼く」って知ってますか?と聞かれたので、曖昧な記憶を探り「ジョギングしながら納屋を焼いて回る男の話でしょう」と答えたら「全然違いますよ」と言われた。そこでものすごく冷えている水曜の夜9時過ぎに、本棚からその小説が収められた短編を探し出して、読んでみた。三十年振りくらいの再読だった。ジョギングする男と、納屋を焼く(と主張している)男が出てきたが、それは二人の男で、記憶のように一人の男がジョギングしつつ納屋を焼くわけではなかった。しかもそこに女性も登場していて、女性が消えるということはまったく覚えていなかった。だけど、村上春樹の小説では女性がよく消えるんだな、と気が付いた。「羊をめぐる冒険」「午後の最後の芝生」「1973年のピンボール」「ねじまき鳥クロニクル」「納屋を焼く」・・・・

 燃やしたと言うが燃えた納屋が見当たらず、納屋はすべて存在していて、彼女だけが消えてしまった。不気味で不穏だ・・・三十年前に読んだときはそんな不穏さには無頓着だったかもしれない。

 今日、会社で眼鏡のレンズが汚れていたので、ハンカチでごしごし擦っていたら、眼鏡のつるが折れてしまった。右の耳へと伸びているつるのヒンジの近くでプラスチックが折れて、ポキっと乾いた音がした。左耳に伸びるつると、鼻パッドで支えれば、眼鏡はちゃんと眼のまえにレンズが来る正常位置を保てたが、なにかの拍子にすぐにずれてしまう。会社にはもうひとつ眼鏡が置いてあるのだが、それはPCモニターを見たり本を読んだりするときのための「至近距離用」に置いてある眼鏡で矯正視力は0.4くらいしか行かない。なお、裸眼だと0.1以下で、つるの折れた眼鏡をかけると1.0くらいになるのだ。自家用車を運転して帰宅するのに、視力0.4にしかならない眼鏡では危ない。かといって右のつるがない眼鏡もいつ落ちるか・・・危なくて仕方がない。そこでコートのポケットに財布と文庫本と壊れた眼鏡を入れて、30分かけて会社からターミナル駅にあるZOFFに行った。壊れた眼鏡と同じ度数と同じ乱視対応のレンズの眼鏡を、速攻で作りたいと、壊れた眼鏡を渡しながら希望を伝えて、店内を急いで一周して、1分以内にフレームも決めてしまう。30分で出来上がるというので、本屋で暇をつぶしてから(このときには「納屋を焼く」のことは忘れていた)受け取りに行くとちゃんと出来上がっていて、早速にその新しい眼鏡を掛けて会社に戻った。それだけのことで眼鏡店への往復でなにか特別なことがあったわけではない。しいて言えば、道すがらに紅梅のしだれ梅が満開になっているのを見たことくらいだ。あ、それから日が沈んだばかりの西の空の高い位置と低い位置のふたつ、とても明るい星が輝いていたのも見た。今晩はとても寒い。少し前に十年に一度の寒気が来て、南関東でも最低気温がマイナス5℃くらいまで下がると言われた日があり確かに寒かったが、今日の方が体感はもっと寒い。風のせいでもあるだろう。暖かい部屋から外に出るときにコートの下に暖かい空気を抱き込むようにして背中を丸めて行く。そういう姿勢で寒い寒いと言うのが、なぜか真冬のことというより、早春のことのように思うと、しっくりくる気がします。

 話が変わるが、天丼の「てんや」で早春天丼というのを食べた。富山湾白エビかきあげ、穴子、梅干し、紅大根、あともうひとつくらい載っていたかな。頼んだあとに、メニューに単品の天ぷらとして「芽キャベツ」150円があることに気が付いたので、追加した。芽キャベツが好きだから、旬のいまの時期になると、食べる。昭和30年代40年代に母がよく作ってくれた芽キャベツのソテーのような料理が好きだったのだが、最近の芽キャベツの味は、どうも自分の芽キャベツの味の記憶に合致しない。もっとキャベツ臭さというのか、特有の味が濃かったと思うのだが。てんやの芽キャベツも、記憶の味はあまり感じられなかった。それでちょっと残念。

 そんなこんな。あ、写真は横須賀美術館。丸窓の向こうはレストランです。