フイルムに関する内緒話

 このブログの今年の1月15日に神奈川県中郡大磯町で行われた大磯の左義長祭で撮った写真を載せた。

大磯左義長 - 続々・ノボリゾウ日録 by 岬 たく (hatenablog.com)

その日にフルサイズミラーレスカメラで撮った数百枚の写真から選んだ写真を使った。

 そのときにフイルムの小型カメラCONTAX T 初代がバッグにあったので、数枚フイルム写真も撮ってあった。そのうちの一枚が上の写真。

 フイルムで撮った写真は撮り終わったフイルムが4~5本溜まると郵送現像でDPE店に送り、現像されたフイルムが郵送されてくるのと同時に、ネットでデータ化された画像ファイルをダウンロードできる。数年前まではフイルムで撮ったらいちいちフイルムスキャナーを使ってパソコンに一コマ一コマ読み込んでいたからずいぶん楽だ。いずれにせよ、撮ってから、プリントでもデータをモニターに映すのでも、時間が掛かり即時には見られない。フイルムが大量に使われていた1990年代頃には、撮って現像に出して同時プリントを受け取るまで最速で1時間くらいだったかもしれない。それでもデジカメの撮ってすぐに今撮った写真が見られる、ではなく一時間だった。いまは数日かかることになった。相変わらず、フイルムで撮った写真がどう写っていたかを写真になるまでの「待ち時間」に、わくわくと、はらはらと、待つ時間がある。結果が決まっているけれど自分にはまだ結果が知らされていない、テストを受けてから合否発表を待つまでの気持ち?手ごたえがあってもはらはらするような。

 先日、若い人と飲んでいて、どうせ最後はデジタル画像データになるのにフイルムを使おうという意味がわからない、と言われた。データを得るまでの、システムの効率化が圧倒的に劣っていて、かつ最後に手に入るデータはデジタルであって、それなのに使う理由がどこにもないじゃないか、と。まぁ撮ったあとのデータ化まではそうかもしれないけれど、撮るときの気分が違う。その気分が写った写真になにか作用をしているのかどうかはわからない。でも所詮は仕事ではなく趣味、余暇、ストレス開放、娯楽、気分転換・・・なんでもいいけど必死って感じではないな私の場合・・・だとしたら、最高効率に寄り添わなくても面白いと思う方法で楽しんでもいいじゃん。もっともフイルムも久々に使っているというだけで、撮る枚数から言えば圧倒的にデジタルの方が多いのは変わらない。

 ところで、これは付けたしみたいな話ですけどね・・・数百枚撮ったデジタル写真の大磯左義長の写真と、数枚だけ撮ってあったフイルムの大磯左義長の写真がある。上の写真のシルエットになった人の、手を挙げていて、頭に手をやっていて、帽子を被って俯いている、なんとなくこの三人が仲間で、休日にはストレートなロックを演奏しているアマチュアバンドをやっていて・・・といった物語が生まれそうな姿勢の瞬間に思える。写真を見ていて写真には写っていないことまで想像できることはいいことだ。絶景風景写真は写真に見入ることで美しさを感じてそこに行ってみたいと思う、そういう写真の力だろうけど、そうではなくて写っていないことを想像させる余白のある、言い換えるとちょっといい加減で適当な写真を、自分の記憶なりをもとに読む力、想像する力で見ることは面白いし、そういう写真が自分が撮ったなかに偶然でもあれば嬉しい。

 それでね・・・内緒話っぽいけど、そういう写真が発生する確率が(この例でもデジタル数百枚に対してフイルム数枚なのに、この上の写真が写ったのはフイルム)高いことをフイルム使いの人たちは感覚的に知っている。だけど定量的証拠もないし、言っても伝わらないから若い人にそんなことは言わないでおこう。

 フイルムの方に写真の神様が降りてくる?

PS でも昨日や一昨日の横須賀美術館の写真などなど、このブログに使っている写真の80%はデジタルですよ(笑)