洗車機が誇らしいと思える錯覚

 在宅勤務の昼休み時間を使って、隣の市にある神社の藤棚を見てきた。今日の写真はフルサイズミラーレスカメラに最大撮影倍率0.5倍のマクロ機能を持っているレンズ、ともにいまの人気の現役機で撮っています。昨日のブログに載せているオールドレンズの神の話とは正反対の、最新鋭機が生み出す高画質写真だけれど、ボケ味に癖が少なく素直な草食系男子という感じの爽やかな写真が撮れる。これもまた悪くないです。

 先日、五日くらい前だったろうか、黄砂がたくさん飛んできた日があった。その後日に自家用車を見たら、車体にたくさんの黄砂が付いていた。そこでガソリンスタンドへ行き、洗車をしてきた。洗車をしたら黄砂はもちろんきれいに落ちた。指定された位置まで車を動かすと、ドアミラーを畳み、窓が全部閉っていることを再確認し、エンジンを切る。車の前方から洗車機の洗車ヘッド(と言うのかどうかは知らないが、ここではそう名付けました)が迫ってきて、水を吹き付けながら車の形に添って上下しながらも後方へ抜けて行く。すると車の方が前方へ動いているような錯覚が起きる。そういう錯覚が起きることを知っていても、錯覚は必ず起きる。洗車ヘッドが前から後ろぬ抜け、後ろから前へ戻って来る。一往復洗ってくれるわけだ。そのあとに今度は同じヘッドが水ではなく温風を出して、同じように車に沿って上下して後ろへ抜けて行く。温風で大方の水滴を飛ばしてくれて洗車が終わる。エンジンをかけて洗車終了車の駐車スペースに停めて、ガソリンスタンドが用意しておいてくれるタオルを使って残りの水滴をちゃちゃっとふき取って終わる。この駐車スペースに車を停めて、車を降りる瞬間が、理由がよく判らないんだけど結構好きな瞬間。洗車機が洗ってくれたというのに、なんだか自分の成果のような誇らしい気持ちがあるんじゃないだろうか。

 応援しているサッカーチームのサッカー選手が得点を決めて、不利と言われていた試合に勝利したとき、それはチーム全体の、あるいはある選手の、あるいは監督の采配の成果なのに、決して自分自身が得点したわけでもないのに、急にものすごく誇らしい気分になる。私の場合はチームはベルマーレで、選手は町野選手であり大橋選手でありタリク選手であり小野瀬選手であり平岡選手・・・ほか・・・なんですけどね。

 選手のように誇らしく見える洗車機・・・