枝分かれし、くねっている

 ウラジロノキではないかと思います・・・枝が分岐しながらくねくねと平面状に広がっているのを見ているうちに、どこが似ていると感じるのか説明が難しいんだけど、いつかどこかで見た龍の天井画を思い出した。

 天井と言えば2歳から15歳まで戦前に建てられた木造平屋の二軒長屋の社宅に住んでいた。小学校低学年の夏休みの「決まり」で午後1時から3時までは昼寝をしなければならず(すごい決まりが小学校から指示されていたものだ!)でもそう簡単には寝付けない。六畳間に布団を敷き、仰向けになり、申し訳程度にタオルケットを腹に巻き、天井の板材の木目を眺めながら時間をやり過ごす。木目を辿るのを地図上の道を辿っているのだと想像し、その道沿いの町のことも夢想した。駱駝に乗って砂漠を行くところなんかも想像したと思う。

 子供の頃。「月の砂漠」という童謡は曲調も淋しい感じだったし、なにより月のある夜の砂漠を、二人(王子と王女)をそれぞれ載せた二頭だけの駱駝が遠くへと消えて行く光景を思い浮かべて淋しさが倍増してちょっと怖かったから、その曲は嫌いだった。

 日本の童謡でどこか海外の砂漠の王子王女が歌われたというのは、海外文化の日本との違いに異国情緒のようなことを感じていて、その理由は情報がグローバル化していなかったからだろうし、グローバル化していないから現代よりも国と国のあいだの文化の違いが明確にあったんじゃないか。それで、海外の国々を、漠然とした憧れとともに夢想する、思い描き想像する、ということがあったからこういう曲も作られた……のかな。

 飛行機に乗って上空から河川を見ると、この写真の枝ぶりのようにいくつにも分かれてはいないものの、流れが曲がりくねっているのがわかる。おお!すげー!と思ったりする。なんで、すげー!と思うのか、自然への畏怖のような気持ちが都市生活のなかで感じにくくなっているのがふと感じられた瞬間だからだろうか?