雨の日曜日 ジョン・ポーソン展

 雨が降った昨日、5/7、連休最終日。表参道のTheMassで開催中のジョン・ポーソン展を見てきた。雨の日、昨日までと打って変わって気温も下がった日曜日の午後に、はじめてのギャラリーを目指して歩く。早く着きたいと気が急く。防水仕様をうたっていたはずの黒いスニーカーにも、気のせいかもしれないが、少し水が浸みている感じがした。

 ギャラリーのHPより『ロンドンを拠点に活動し、世界で広く認知されている建築家、ジョン・ポーソン。ミニマリズムを継承し、ネオ・ミニマリズムの新しい考察を著した』あるいは『「私にとってカメラは、創造的なプロセスにおいて不可欠なものです。他の人がスケッチブックを使って描き留めるように、レンズを通して自分が物事や景色をどのように見ているのかを記録する重要な手段なのです。」ジョン・ポーソン』

 多分誰もが、日々の暮らしの中で、光がさざめく建築の片隅のそこここにふと目を留めるし、ヒビの入った壁のそのヒビの筋道を目で辿ったこともあるし、空に鳥の群れが飛ぶその形になにかを見つけることもある。そういうところにふと目が留まるのは、そこに一瞬惹かれるからだけれど、すぐに通り過ぎる。そういう場面場面を写真に収めていくことは、小さな風景を拾い集めて標本にしていくような行為は、なかなかに難しいと思う。(自分には継続してそういう写真を撮り溜めることは出来ない)そういう写真を整然と整列して見せられると「そこをポーソンが見た」ということに共感できる。世の中の見方を、実は無意識的には誰でもそう出来ている見方を、あらためて提示された感じがして心地よい。

 上の写真は人の目にはこんな風に青い光が天井から降り注いでいるようには見えない。デジタルカメラの自動ホワイトバランス機構が、ギャラリー内の色温度を検知した結果、天井の明り取り窓から降り注いでいるギャラリー内とは違う色温度の屋外光が青く写った。この光の中にやがて精霊が姿を現して・・・と、そこまで想像してみたが、それが何の精霊なのかまでは想像力が届かない。

 この写真を見ているうちに、ギャラリーの床は芝生ではないけれど、谷川俊太郎の「芝生」という詩を思い出した。「私はいつか どこかから来て 不意にこの芝生の上に立っていた」という一節のある詩。

 外はいつまでも雨が降っている。晴れた日にこの会場に来ると、また違った見え方になるに違いない。天候と季節と時刻とコラボする、その日その日に依存するような展示だと思うと、もう一回行きたくなる。