5/9その2) ずるい子

 以下、創作小話

『春の日に、陽の光が降り注ぐ昼間、こんな茨のある細い路を、時には身を屈めて辿り、通り抜けると、そこには直径三メートル、深さ一メートルくらいの穴が掘られていて、木々の手入れで落とされた檜の枝が穴一杯に放り込まれていた。きっと週明けには燃やされてから埋められるのだろう。だけど日曜日の今日まで、そこは秘密の場所で、枝の隙間から穴の中に入れば、さっき通ってきた茨の路地以上に入り組んだ狭い空間だけれど、檜の枝をまたいだりくぐったりすれば人が一人か二人座れるくらいのぽっかりあいた場所があった。そこには枝の隙間を潜り抜けてきた木漏れ日が丸く、海月のように重なっている。少年だった私はそこへ行けば、それが一人であれば、膝を抱えて座って口笛の練習をしたし、S野くんと二人のときには泥団子をつやつやになるよう磨いたものだ。口笛で吹こうと思っていたのは、好きなのにあの人はいない、と言う歌詞からはじまるヒット曲で、歌っている女性歌手のことをS野くんは、本人曰く「愛している」そうだから、口笛で吹けるようになれば、S野くんに聞かせたいと思っていた。泥団子を磨きながら話していたのは雷魚のことだ。小学校の第二校舎と第三校舎のあいだにある小さいけれど深くて、水草が覆っている泥池、と皆が呼んでいた、そこに「主」として雷魚が住んでいるらしい。なんでも洋服屋のK林くんが誰かから聞いて来た話によれば、夜になると雷魚が池から外に飛び出してくねくねと身体をくねらせては地面を進んで兎を襲いに行くから、先日の兎失踪事件の犯人は雷魚だそうだ。そのことを先生は知っているのに言ってはいけないことになっていて、なんで言ってはいけないのかまでは誰もわからない。そんな話のあと、しばらく静かに泥団子を磨く。もしももしもK子さんが、彼女の家は学校の近くだから、なにかの用事で夜の学校へ行くことがあれば雷魚に襲われるかもしれないな。それなのに私は、K子さんが、例えば足を、雷魚に噛まれそうになるのを救おうとは思わない。だって、自分も雷魚が怖いから。そして足に包帯を巻いたK子さんにどういうお見舞いの言葉を掛けたら気をひけるかを考えている。突然S野くんが、雷魚を掴まえちゃおう、と言う。そして八つ裂きにしてしまおう、と言う。八つ裂きってなんだよ、と私は笑う。それくらい強くなければあの女性歌手に近づき、いつか結婚するためのステップの第一段階さえ登れないんだよ、と彼は力説し、雷魚捕獲作戦のためにまず雷魚とはどのくらいの大きさ重さの魚なのかを調べにいこうよ、と言って立ち上がった。K子さんが襲われる前に雷魚をやっつけてしまったら、K子さんは無事だけど、無事で何事も起きなければ、私が事前に危険の芽を摘んだことを伝えられないじゃないか。S野くんは先に立ち上がる。いつものように泥団子を隠して行こうとするから、明日にはもう埋められてしまう穴かもしれないので、今日は持ち出さなくてはならないと言う。S野くんと私は泥団子を大事そうに両手で持ち、穴を抜け出して、茨の路を辿り、バス通りに出ると、図書館に向かう。雷魚について調べるための図書館だけど、では泥団子を当面どこに隠すかは決めていない。』

 以上はフィクションだけど、子供の頃でも、みんな少しは、例えばこんな感じで、ずる賢く打算的だったんじゃないかな。少なくとも私はこういうずるいところがゼロではなかったと思います。

 一番上の写真は子供のころこんな茨をどこかで見上げていたな、と思って撮った写真。その下も同様だけれど、画面のど真ん中に盛大なゴーストが乗っていてオレンジ色の光が覆っている。ゴーストのある方がなんだか懐かしさに寄り添っていると思えます。写真を見ていて思いついたのが上の創作小話です。