美術館で雨宿り

 昨日5/11の午後、根津美術館尾形光琳の燕子花図屏風を見てきた。15:00~16:00でチケットを事前予約購入しておいて15:00少し前に入館した。その少し前から雨が降り始め、地下鉄表参道駅から美術館まで歩くあいだ、傘をさした。美術館内にいるあいだに雨脚はどんどん強まり、それと同時に雷鳴も轟いた。雨が小降りに変わるまで美術館で雨宿りをして、少し雨脚が弱まったところで、傘を広げて美術館を後にした。

 どこかで雨宿りをしているときが過去にも何回かあった。例えばその雨宿りの時間が30分で、そこそこ小降りになったところで雨の町へ歩みだした。その歩み出すときに、必ず思ったのは、あともう5分我慢すれば、雨は上がり傘をさす必要が無くなるかもしれない、というようなことだった。その5分を待てばいいのか、だけどそれは近未来予測だから、自分の勝手な予想通りに5分後に雨が上がることが確実とは言えない。5分待っても雨脚は変わらず、結局は雨の中に踏み出すことに変わりがないのだとすると、今歩き出した方がいいように思える・・・そういうことを考えつつも、私の場合は、もうそれ以上待つことはせず、そこそこの雨脚で見切りを付け、雨宿りを切り上げて、雨の中に歩き出すことの方が多い。せっかちなのだ、意外と。

 傘を広げて歩き出すと、ずいぶん気温が低くなっていることに気が付いた。そのうえ、私が歩き始めたのを雲の上から誰かが見張っていたかのように、またすぐに雨脚が強くなる。結局歩いている途中にあったスターバックスに駆け込み、温かい飲み物を頼んで、それをすすりながら、まだ読み終わっていない阿部昭の本を読み進めた。

 すると20分ほど経って、今度は確実に雨脚が弱くなり、気が付けばもう雷鳴も聞こえなくなっている。それでも完全に雨が止んだわけではないのに、またも雨が止むまで待つという我慢できずに、スタバをあとにする。傘を再び広げて緩い坂道を上る。青山を歩くと、すごく古いフォークソングかぐや姫の「マキシーのために」を思い出す。

♪青山に でっかいビルを建てて おかしな連中 集めて 自由なお城を作ろう♪

と夢を語り合った仲間のマキシーは、なにか心折れることがあり、睡眠薬を百錠も飲んで渋谷まで歩く途中で倒れ亡くなる、という歌詞だった。1960年代70年代、自由を夢見る若者が、自由を得る前に命を絶たれ(あるいは自ら命を絶ち)、結局は夢は叶わず体制を覆すことが出来なかった・・・という映画や歌があったが、そういう作品は若者側に立って、彼らの夢が結局は既存の体制のなかで容認されないという、そこにやり切れなさや悲しさや無力を感じさせることで、それを見た若者がまた新しい挑戦を続けること、引き継ぐことを、怒りと悲しみから行動を起こすことを促そうとしていたのかな?ぼんくらだった私は、そういう告発を秘めていたことなど気付きもせず、若者が体制に勝てない象徴のような死のクライマックスは「さておいて」しまって、それまでに描かれた彼らのヒッピー(風)の気ままで自由な暮らしぶりや生き方をかっこいいな!と憧れていただけだった。でもみんなもそういう映画の見方、歌の聞き方、をしていたんじゃないのかな?だから(もう「マキシーのために」の歌のことではなく、映画「イージー・ライダー」のことだけど)ピーター・フォンダデニス・ホッパーがハーレーを駆って走る途中で銃撃されるラストの悲劇より、映画の冒頭で、快晴の下、彼らのオートバイが疾走する場面やザ・バンドの「ウェイト」の流れるところの方ばかりを、かっこいい、と言う単語とともに覚えている。