誰かのあとに付いて走って覚えた道

 いま住んでいるマンションに引っ越してきたのが1989年の暮れだった。引っ越したばかりの頃に、自宅のあるマンションから最寄のJRの駅までの行き来は自転車を基本とすることにした。そこで引っ越して真っ先に自転車を買った。駅近くの市営駐輪場までバス通りを使うより近道があるに違いない。どの道で行けばいちばん早く着けるのか?この町は自転車に乗る人が多く、平日の朝には家の前のバス通りを市営駐輪場まで自転車を漕いで行く人が大勢いる。地図を見て使う道を決めるより、走って行く彼らに付いて行くのがいちばん手っ取り早い。

 高校生の頃は、隣の市の海に近いところにある「実家」に住んでいて、高校まで自転車で行き来していたが、名古屋で間借りした部屋に暮らした大学の四年間は自転車は持たなかったし、就職して横浜の寮に住んで、ほどなく(片岡義男のオートバイ小説を読んでオートバイに憧れて)中型二輪免許を取得して、最初はスズキの次にはホンダの250ccのバイクに乗っていた、その間も自転車は持っていなかった。1989年に、久々に自転車に跨って漕ぎ出したときは、オートバイのリーン・インとかリーン・アウトと呼んでいた体重移動で車体を傾けてカーヴを曲がるのとは違う、自転車のハンドル操作の感覚がすぐには戻らず、あれれ、なんか変……と驚いたものだ。だけどすぐに勘は取り返せる。

 1989年、駅に向かうと思われる誰かの自転車のあとを付いて走ると、途中で人と自転車だけが渡れる幅の狭い橋が、鯉がたくさん泳いでいる川をに掛かっている場所に出た。そんなところに橋があることは、そうして誰かの後ろを付いて行ってはじめて知ることが出来た。

 この写真を撮ったのは今年の五月の中旬だ。日が落ちてから30分か1時間という頃だろう。たまにそういう時刻にこの橋を渡るときにこうして写真を撮ることがある。川の正面のマンションは私が引っ越してきたときにもうあったんじゃないだろうか?右側の戸建て住宅が並んでいるところは、小さな野球場があったし、ほとんどの家が1989年以降の34年のあいだに建て替えられた。建て替えられて屋根のシルエットのギザギザが面白くなった。ときには水鏡のように川面が平面になることもあった。

 橋のすぐ横に、解説ボードがあって、この住宅地は昭和20年代30年代まで水田で、この橋の場所は水田へ水を取り込むための取水口があったらしい。橋はまだなくて堰がありそこで子供たちが水遊び?魚採り?をしているぼんやりしたモノクロ写真もボードの解説文に添えられている。

 最近は橋の足元を照らすべくめっちゃ明るいLEDが橋に何基も取り付けられた。橋の幅は狭いので、すれ違いがあるとちょっと気を付ける必要がある。

 34年前に、誰かの自転車の後ろに付いて走って覚えた駅までの道は、たしかに一番無理なく安全で早い道で、今もそのコースをよく使う。だから結構な頻度で私は今もこの橋を自転車で渡るし、橋の途中で止まってこんな風に写真を撮ることもある。橋から下を見ると鯉が泳いでいる。ときどきコサギが来て流れの中に立って獲物を探している。

 引っ越してきたばかりの頃に使っていた近所の理髪店には、店内に置かれた水槽に一匹だけかなり大きな鮒を飼っていて、聞くと、この橋が架かる千の川で理髪師のおじさん(私より年配だった)の子供がちっちゃい鮒を捕まえて持ち帰ったのを水槽に入れておいたら、十年以上死なずに、ここまで大きくなったんだよ、とのことだった。鮒の大きさは15-20cmくらいだった、かな。でもそんな話を聞いてからまた30年くらい経ったから、鮒はもう死んで、いないんじゃないかな?