立体感の理由

 少年の頃、天体宇宙図鑑をよく捲っていた。恒星の一生のページを読むのは怖かった。いつか太陽がどんどん巨大化して地球を飲み込んでしまうという解説だった。もうひとつ、こっちは魅了されたのが、銀河群?団かな?の写真で、遠くの遠くの空の一角を巨大なものすごく大きな倍率の天体望遠鏡で見ると、いくつもの銀河が集まっている銀河団があり、そのたくさんの銀河が勝手気ままにひとつひとつが楕円形に見える斜めになりつつ、近い銀河が大きく遠い銀河が小さく写っている。宇宙の果てという永遠に近い遠距離の場所にも、近い物は大きく遠い物が小さく写る理屈がそこにあり、にぎやかにたくさんの銀河が輝いている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E5%9B%A3

 今でも、花や木の葉にカメラを向けたときに、一つ一つの葉や花が、少年の頃に図鑑で観た銀河団の写真の銀河のようだと思いながら見ていることがある。そして、そういう花や葉に出会うと、銀河団の写真を思い浮かべつつ、葉の写真、花の写真を撮りたくなる。少年の頃の憧れは根強い。

 被写界深度を深くするとピントが合ったまま遠くは小さく近くは大きく写るから遠近はよりわかりやすいかもしれないが、被写界深度を浅くした方がいいという人もいるだろう。前後がぼけるから主被写体が浮かび上がってかえって遠近感が現れるとも言える。

 どっちがより立体に見えるのかもよくわからない。写真は一瞬を平面に置き換えて記録するものなのに、時間を感じるような写真、奥行を感じるような写真、を撮ろうと思うのはなぜだろうか?そこに制約が有るからこそ、それでも時間や奥行を感じさせたい、という風に考える。