さくらんぼ

 一昨日、会社の若い同僚から山形で獲れたさくらんぼを一パックいただいた。なんでも同僚のお母さまのご実家がさくらんぼ農家を営んでいて、彼も収穫時期には手伝いに行くそうだ。それを軽く水洗いして食べた。さくらんぼって、他の果物より甘さや酸っぱさで突出してなくて、ほどよい落ち着きの味を持っているというのが個人的感想。その美味しさを最近になって、やっとよく分かった気がします。ありがとうI君。

 またぞろ昭和の頃の話でしょうもないけれど、子供の頃はさくらんぼと言えば、フレッシュなものではなくて、缶詰になった赤く着色されたものが、クリームソーダなんかに一個ポトンと入っている、パセリ同様の添え物という認識だったから、いまのようにフレッシュな季節の果物としての認識になって、そういう食べ方をするようになった、私的かもしれないが時代的かもしれない「転機」があったんだろう。でも個人史としてその変化にいつ遭遇したのかは覚えていない。転機がエピソード記憶になっていない。エピソード記憶になっている転機とそうでない転機があるものだ。

 クリームソーダやらバニラアイスやら、なんちゃらかんちゃらのスイーツ(という言い方もむかしはしなかった気がするが)に添えられた感じで、ときどきそこにいた缶詰のさくらんぼは、さくらんぼの茎を口の中で舌を器用に動かして丸く結び目を付けてから口から出す、と、こう書くと若干下品な気もするが、そんなことをしてみるのも流行りというのかなんというのか・・・ま、そういう暇つぶしがあったものだ。いまもやる人いるんかしら?煙草の煙を輪っかにして吐き出していた父、すごく上手に口笛を吹きながら会社からの帰り道の坂を上って来た同期のT、シャーペンを指の先でくるっくる回すのが得意な誰とは言わないがそういう奴がけっこういた。自転車を両手離しでずーとちんたらと住宅街の一本道を漕いでいった、これは私。世の中で走っている人もいまより多かった気がする。電車に飛び乗ろうと、階段を一段飛ばしで駆け下りて来るやつも多かった。会社の同期のHは階段を一段飛ばしで駆け下りて飛び乗った横浜線の72系だったかなブドウ色の電車(が、まだ走っていた!1979年)に首尾よく飛び乗れたものの、そこで転んでドアとドアのあいだの車両のど真ん中に立っている手摺ポール、いまそういうポールが立っている電車はないんじゃないか、にぶつかってたんこぶをこしらえた。まとめると(笑)、煙草の煙を輪っかにする人、すごく上手に口笛を吹きながら歩く人、シャーペンを指先でくるっくる回せる人、自転車を両手離しでずっと進む人、駅の階段を一段飛ばしで駆け下りる人、缶詰のさくらんぼの茎を口の中でくるりと結べる人、などの存在率がいまより高かったと思われる昭和時代がありました。

 さくらんぼの茎を丸める件は男から見て女子がやるとちょっとセクシーなイメージが喚起されたものだが、私だけが妄想してたのか?そのことについて腹を割って話し合ったことはないな(笑)そして女子から見て、そんなことやる男はどう見えてたんだろう?イメージがプラスにはならないのでは?わたしは舌が短いのか普通なのか、長さではなく動かし方の違いなのか、そんなことはまったく出来ない(と言うより試したことがない)。

 写真は大森の飲み屋街。フイルムカメラで撮影。