蓮の花

 昨日のブログにカメラが決めてくれた蓮の葉の写真を載せましたが、一方、私が撮った蓮の花の写真も載せておきます。なんかね、昨日の葉っぱの写真の方がいい感じがするのでした・・・

 JR東日本大船駅の改札階からバスターミナルまでの人専用の歩道を歩いて行くと、右側の小高い丘の上に大船観音が見えます。南関東にお住まいの方ならだいたいご存知だと思う。白い上半身というのかバストアップの大きな観音像で、調べると、1960年完成。電車が大船駅付近を走ると必ず車窓から見えるから、私にとってはいつも必ずそこにある観音像なのです。子供のころからずっとあるものに違和感はない、最初に受け入れていることが多い。これは怖いことでもあるし、当たり前でもある。

 先日、日曜かな、ヤフーニュースを読んでいたら、小田原城址公園内の小動物園に最後まで残っていた猿舎が取り壊されるニュースを読みました。以前は象もいたし、虎もいたような気がしますが、どうだったろう?小田原城址公園には小動物園があり、子供の頃はそれを観に行き、お城も見る、というのが楽しみだった。遊園地もありました(あるいはいまもあるのかな?)場内にはいかにも地方らしい外野が階段の観覧席になっている野球場もあったと思う。お城、動物園、遊園地、野球場、が子供の頃に当たり前に受け入れた当たり前で楽しく好きな場所だった。

 気になったのは撤去の理由が「城内に動物園があるのがふさわしくない」と「行政指導」があったから、と書いてあったことで、その指導がいつ出たのかはわからないけど、法律に触れているのかな?触れていなければ、「ふさわしくない」は誰の判断や意志で、それに呼応したときに市民や子供の意見は聞いたうえだったのだろうか?もしそうではなくて見えないところで決まったことなんだとすると、胡散臭いですね、いやーな感じがします。いつのまにか自由を奪う統制が行政に働いていることを感じてしまいました。なお、小田原城址公園の動物園は村上春樹の小説、たしか「ダンス・ダンス・ダンス」にも出てきます。

 当たり前にある大船観音は今も当たり前にあり続けているから、もうそれの背景にあること(どこかの寺院の観音なんだろうな)なんか判らなくても、ランドマークとなっている。ずっと見てきたものに「ふさわしくない」なんてないんじゃないか・・・

 その大船観音を右手に見える遊歩道を歩いていると、すぐ横に、中学か高校の二十人ばかりの部活の生徒がグループになって歩いていました。中の一人が友達に「大船観音を見ているとウルトラマンに似てるって感じちゃうんだよなぁ」と言っているのが聞こえた。それで帰路にもう一度よく見たけれど、私にはそうは見えなかった。けれど彼には圧倒的にそう見えているのだろうな。

 小さな頃に大船観音を見てウルトラマンに似ていると思った、その子供が中学か高校になって野球部に入ってみんなと歩いているときに、それを思い出して友だちに話している。そういうのが日常の尊さでしょう。