砂浜にあった市営プール

海水浴場に指定されていない遊泳禁止の海岸にも、区別なく砂混じりの海風が吹き、太陽の光と熱がふりそそぐ。飛ばされないように、左手で帽子を抑えながら、片手でカメラのシャッターを切る。

十年かもう少し前だろうか、相模湾に面したいくつかの市では、海沿いの国道134号線よりも海側の砂浜側に市営プールがあり、夏のあいだは家族連れや子供たちで賑わったものだ。市営プールは湾に面した各市に、二つか三つづつあった。そういう砂浜側にあったプールはいちばん古くからある市営プールだった。木造の更衣室、何年も変わらずにあるシャワーや目を洗う水道蛇口。たいていは50mと25mのプールを持ち、もうひとつ、幼児向けのごく浅いプールを持つところもあった。小学校高学年から中学生の頃には夏休みの40日のうち、15回くらいは市営プールに通ったものだ。そのうちほとんどは新しい市営プールで、海沿いの古い市営プールに行くことは少なかったが、それでもひと夏に数回は砂浜側の古い市営プールにも行った。小学生や中学生の仲間が数人集まって、今日は砂浜のプールの方に行こうと決まるのはどういうときだったのだろう。海辺の市営プールは更衣室もなんとなく古くて湿っていたし、プールの周りには風に飛ばされた砂が浮いていた。プールで遊んでいても20分か30分に一回、監視員が笛を吹くと、全員がプールサイドに上がり、休憩をしなくてはならない。仲間と座り込んで、今目の前のこのプールで遊んでいたことについて、いまではない夏休みの宿題の進捗についてなどを話す。今夜のテレビ番組、それはウルトラマンマグマ大使についてだろうか、その物語の今後の展開についても話す。数日後に家族で旅行に行く仲間もいただろう、別の誰かは、実はウルトラマンよりもプロ野球の方が気になっているかもしれない。そういう休憩時間にプールのフェンスの向こうには砂浜と海原と波が見えた。水平線上に並ぶ入道雲も見えた。そんな風に、ふと会話から離れて遠くに視線を移動させた瞬間がある。その一瞬に心を横切る気持ちに、どんな言葉を当てはまるのかはわからない。でも仲間もみんなもそういう瞬間があることを知っている。なぜなら連鎖して、急に誰もが口を閉ざすからだ。

砂浜の市営プールは、十年かもう少し前、砂浜が減ってしまった湾に、大きな台風がやって来て、押し寄せた大きな波がぶつかることで、次々と壊れてしまった。建物が飛ばされ、つぶれ、プール自体にもひびが入る。そのあと数年放置された砂浜側の市営プールには砂がたくさん溜まっていった。補修され再開されたものはなく、もうみんな取り壊され、ただの砂浜に取り込まれた。もぅ砂浜側の市営プールは、知りうる限り、なくなった。

 写真は7月1日の茅ケ崎海岸(海水浴場ではない場所)。ここに市営プールがあったわけではないです。