赤い橋

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写真は昨日の夕方の散歩で撮ったものです。見慣れた神奈川中央交通のバス。その街に走っているバスは日常のなかで見慣れていて、このカラーリングとデザインは、時代とともに徐々に変化していたのかもしれないけれど、私が2歳で神奈川県平塚市に引っ越してきてから、いままでのあいだに、大きく変わったことはなかったのではないか。いままでに名古屋や横浜や宇都宮に住んでいたこともあるけれど、それでも日常のありふれた風景のなかを走るバスと言えば、この神奈川中央交通のバスが、それだ。人の記憶がいくつくらいから残るのかは人それぞれだろうけれど平均的には4歳とか5歳だろうか。その頃、平塚市に住んでいた私は、母と出かけるときにバスに乗った(それは「六本」もしくは「追分」というバス停留所から「平塚駅」か「紅谷町」という繁華街まで行き帰りするためのバスだった)。昭和30年代の半ばか後半だろう。ごくまれに、ボンネットバスがやってくるのだった。バスの中には車掌さんも乗っていて、革製の黒いバッグを下げていたと思う。帽子をかぶって制服を着ていたように思うけれど、どうだったのだろう。ボンネットバスがやってくると、母は、ボンネットバスだわね、とかなんとか、それが珍しいと思ったのかそのことを言っていた。まったく無頓着ではなかった。母がボンネットバスを歓迎していたのか、すなわち例えばそのとき30歳だった母がなつかしさを感じていて消えて行くそのバスを惜別の思いで見ていたのか、それともその逆だったのか、例えば比較的狭い車内なので混むことを嫌っていたのかは分からない。

私はバスに乗るのは嫌いではない。大学生の頃、名古屋市にいて、休日に下宿のあった町から繁華街の名古屋駅や栄町に出るのに、地下鉄なら20分かそこらなのに、わざわざ一時間くらいかけてバスに乗っていた。ぼんやりと町の様子を眺めるのが好きだった。多分ボルゾイという名前のスマートで大きな犬を連れた人をバスの車窓から見たときは、その犬種を知らなかったので、犬なのかどうかもわからず瞠目したものだった。春に街路樹の銀杏の芽が出ると、その小さな葉の可愛らしさを窓のすぐ横に見た。ネクタイをきっちり締めてまっすぐ前を見て速足で歩いていくサラリーマン氏のネクタイが後ろ側で襟の下から間違って表に出てしまっているのを発見してなにも出来ないのに心配した。バスは後方の窓側の席が好きだったが、田中小実昌は運転手の横の一番前の席に座っていたんだっけ?ウィリアム・クラインのTOKYOにはバスから撮った写真が使われていた?いまその写真集がすぐに見当たらないからうろ覚え。

この写真の橋はちょっと調べると1975年に竣工。通称「赤橋」と言われているそうです。