空気が澄んでいる秋

 昨日も今日も空気が澄んでいる。空を見ると高いと思う。高いと思うのは透き通ってずっと上空の透明な空(くう)が、高いと思うのだろうか。なにもない空気を見ているのに、そんなふうに高いとか低いとかわかるのは人の能力は凄い。もちろん、町があれば、向こうの方の富士山や東京スカイツリー伊豆七島の大島や利島があれば、それがくっきり見えることで空気が澄んでいることはわかる。

 この季節だったろうか、二十代に250ccのオートバイで、国道の坂を下ると、坂の上は人のたくさん住む住宅地が道を囲んでいて、坂の下は周りが拓けた田園地帯、そういう坂を下ると、急に気温が下がるのを感じることが出来たものだ。

 あの頃、オートバイは直接外気に触れているからそれが本当の旅だ、車はフロントグラスを介して外を見ているから、それは本当にそこにいることではない、といったことを誰かが書いていて、ずいぶんと、そうだそうだ!と思ったものだった。

 日の出前でも日が沈んだあとでも、空が焼けた赤の要素がほぼ消えると、濃い灰色の雲と空は寒々しい。寒々しい雲はそれはそれで惹かれる。荒野は果てしなく寂しいが、その荒野を目指す人がいる。そんなふうに行動する決意や厳しさを自分に課したことは無いが、その「感じ」はなんとなくわかるのです。