次の時間に

 例えば、誰かが目の前にいて、最近はどう?と聞いたら、どうって・・・べつに、相変わらずカメラを持って散歩していますよ、と言うのだろうか。古い日本映画だけれど若手落語家の青春の日々を描いた森田芳光監督の「の・ようなもの」のなかで落語家の師匠が主人公の若手落語家(の卵)に、最近どんなことをしたかなんでもいいから言ってみなさい、と質問を投げかける場面があった。主人公がマクドナルドに行ったと答えたんだっけ?師匠が、そうか、それでどうだったんだ?と言い、主人公が食べたもののおいしさやそのものの見たイメージを話す。師匠はそういう今の暮らしの観察力でも見極めたかったのかなあ?その後に主人公に、新作落語は興味がないか?と投げかけ、主人公はしょんぼりして「古典でがんばります」と答えるのだった。

 もし誰かが私にいま、最近どんなことがあった?と聞いたら、相変わらずカメラを持って散歩をしています、と答えるだろうな。じゃあ、最近はどこへ行った?と問われれば、例えばこの写真を撮った日のことをしゃべるのだろうか?だけど、とくにこの日に関しては、このことを話したいというようなことが思い浮かびませんね。ここ、けっこう大事で、感性があって世の中に興味津々の人であれば、いっぱい浮かぶんじゃないか?

 あるいは撮っている最中に、この三輪車の子どもはもっと上まで頑張って行くのだろうか?どこかで諦めて降りるだろうか?向きを変えて今度は坂を下るのを楽しむのだろうか?という次の時間に起きることも見定めようと、その場に一体的に所属している感じが強い在り方もあるのに、たぶんこの写真を撮ったときの私は、もうシャッターを押したら、向きを変えて歩きだしただけだったんじゃないか。

 というわけで、なんでしょうか(笑)、偏屈になるとか視野が狭くなるとか他人の言うことに耳を傾けないとか、これ、意識的にいないと自然にそっちに導かれるのかもしれないから、頑張ってそうならないようにしましょう、ということですね・・・