バスとドラム缶

 いまは横浜の赤レンガ倉庫と大桟橋のあいだの遊歩道や象の鼻パークになっているおしゃれな観光スポットは、1980年代には赤レンガ倉庫は廃墟だったし象の鼻のあたりは倉庫や港湾の水揚げ場や貨物船のあるような場所だったと思います。刑事ドラマのロケ地によくなっていたな。刑事ドラマではないけれど森田芳光監督の映画「の・ようなもの」で主人公の落語家しんとと と、秋吉久美子演じるトルコ嬢(当時の言い方)エリザベスが夜のドライブに来て歩くのも横浜の港湾地区だったような気がする。たぶんこの写真は1980年代にそのあたりで撮ったものだと思います。たくさんペプシとファンタのロゴが貼ってあるけれど、廃車になった車がペプシとファンタの倉庫になっている・・・そんなわけないか。当時はこういう場所によくドラム缶が置いてありました。いまもドラム缶はあるのだろう、けれど、むかしほどの頻度では出会わない気がする。ドラム缶には何が入っていたんだっけ?コールタールだとすると環境規制で使われなくなっていそう。使い切った石油の空き缶ってことだったんでしたっけ?と、ここまで書いてまたウィキペディアを調べましたが、まぁそれを書き写してもしょうがない。

 観光客のために整備された観光地に観光に行くこともあるけれど、労働のための場所、たとえば80年代の上記の写真を撮った港湾地区のような、観光地ではない風情とか風景を撮りに行くというのは、どういうことなんでしょうか?自分を安心の側に起きながら、短時間だけ訪ねてちゃちゃっと撮影するという通りすがりの傍観者が、それでもそこに行きたい、見たい、撮りたい、と思う。私はもしかすると観光地に観光客として行くのが天邪鬼的にいやで、傍観者になって観光地ではない場所へ行く、だけど、そんなのも通り過ぎるだけの、繰り返すが「傍観者」だから、表面を撫ぜるだけのようなものだ。天邪鬼と書いたけれど、「穴場」を探す人は大勢いるし、「観光地化されていないむかしのままの人々の暮らしがそこにはあり」なんていう結局は「観光」本の解説の定番文章があるくらいだから、多かれ少なかれ、観光のために行く場所として、観光地を避けたいという思いが起きている人はすくなくはない。

 観光地でも観光地じゃなくても、どこかを写真に撮っておくことは、意味がある行為なんだろう。