真っ赤な楓と黄色の銀杏が街の紅葉の花形だろうけれど、夕暮れ時の逆光を受けて臙脂色に輝く桜だってきれいだし、茶や黄色になるこんなスズカケ(だと思いますが図鑑を見るとスズカケの葉はもうちょっとギザギザしているからちょっと違っているかもしれません)スズカケだって美しい。そして紅葉だけではなくて、常緑樹の緑も綺麗に見えてきます。
いつからこんな風に、じっくりと見ようと、自然の移ろいを見ようと、思うようになったのか?20代30代の頃にはカメラを持って四季を追いかけるなんて、お爺さんのダサい行為だと思っていただろう。だけどまさにお爺さんと呼ばれる年齢になれば、そうなっている。そしてそれをダサいとは思わず、見て感じて受け入れる受け身の自分があるべき姿勢のように思えるのだ。
そして、そういうときに思い出すのが西脇順三郎の「旅人かへらず」という詩。あの詩は詩人が自然のなかを歩きながら、そこにある草や花や雲や流れを見て、思う詩だ。なにを思うかは、いろんななにかだろう。
二
窓に
うす明かりのつく
人の世の淋しき