がんばらなくてもいいじゃないか

 私は理科系出身なんです。主に理科系の方が進めるいろんな分野の技術の進化によって、人の暮らしが大きく変わって来た。身の回りの道具に置き換えると直近ではスマホやPCがその代表例で、その革新がもたらした便利で安全で効率的でスマートな生活。でもそれ本当か?

 そして年初にはそんな単語は知らなかった「生成AI」がいまやトレンドワードで、その使い方に規制を書けないと職業が脅かされたり消滅したりしかねない・・・と声がたくさんの職業から挙がっているらしい。

 一つ一つの新しい機械やアプリは、使いやすくて便利で人を幸せに導く最新の機器だとうたわれ、そういうものに囲まれていく。だけど人という動物は、そんな暮らしを前提にしていまの姿があるわけではない、あるいは進化論によって人が将来この暮らしに適合するには膨大な時間が掛かるから、いまは(ローカルでは便利に感じても全体としては)便利の名のもとに、実は動物としてのヒトにそぐわない暮らし、ストレス社会を強いられている。ローカルには便利でいいね!と思うことばかりに見えていて、それを俯瞰して大局で評価すると、なんだぜんぜんだめ、ストレスの嵐の中じゃないか。

 1960年代に誰かが抱えていたストレスと誰かが感じていた幸せの総量が、2023年にストレスが減少し幸せが増大したとは、誰もそうは思っていないかもしれない。

 結局、改革の原動力は経済競争やら国家間の軋轢やらだから、もう辞めようよ、スローに生きようよ、という気分はあっても、全体方向はさらなる便利と言う名のもとと冷徹ななにかに向かって加速していくばかりじゃないですかね。弱者は駆逐されるし、そんなスローとかは甘い甘い弱点だと、ある視点からはみなされる。

 技術の進化は人を幸せにするべきで、その幸せの尺度は時間が稼げる便利さだけじゃなくて、もっとゆとりとか余白とか、そういうところで測る尺度も持ち合わせないと・・・下手すると、暴走したがん細胞のように、技術が人類を破滅に導くのかな?理科系出身だけど、それを生かすひとつひとつの世の中の職業はそんな大局は見ていないから、良かれと思ってなにかに取り組む。それががん細胞への加担になっているなんて思わないよね。

 核技術とAI技術と・・・もっといろいろ・・・進化するものの進むべき道筋を、法律やら約束やら正義感やら常識やらで制御して歯止めをかけられるほど人はみな大局的にものが見えないし、そんな抑止力は相当な努力と努力の積み重ねと世代を越えた引き渡しが必要で、かつ一人の悪人が生まれ出れば脆くも崩れてしまう。あきらかにあやふやで心もとないですね。

 1970年代の暮らしで平均的に使われていたエネルギー消費量に戻ればそれだけでだいぶ温暖化は防げるとして、では1970年代の暮らしって今と比べるととんでもなく危険でとんでもなく不幸せだった?さらにもっと前、大正時代って、人々はみんな幸せだったと聞きますね。目指すことを変えた方がいいんじゃないか?などと思うことがなくはないが・・・

 話は急に変わるけど、海へ行ってカモメがどうして飛んでいるんだろう?となんとなく観察しながら時間を気にせず過ごす。・・・幸せになろうよ。もう十分、がんばらなくてもいいじゃないか・・・