この町に住む理由

 建国記念の日の振り替えで休日となった月曜日。相模湾のど真ん中で太平洋に注いでいる相模川茅ケ崎市平塚市の境界になっていて、その茅ケ崎市側に行ってみる。午前9:30頃。この写真の場所に着くほんの数分前に、この写真の右手後方には大きなゴルフ練習場(打ちっぱなし場)があり、その付近を歩いていたら、上空にたくさんのトンビが飛んでいて、私を狙って急降下してきて掴まれたり噛まれたりしそうな剣呑な雰囲気まで感じてしまった。えっ?鳥の目から見ると今朝の私はどこか体力気力が弱っていて、格好の食べ物にでも見えるのかな?と思い少しぞっとした。

 このあと、真っ直ぐ突き当たりまで歩くともうそこは河口で目の前は海原、そこから左折して海岸に沿ってずっと歩く遊歩道(自転車も可)が東へと続いている。そこも歩きました。遊歩道は海面より少し高い位置にあるから、広く海が見渡せます。日差しはもうすっかり春のようで海面にきらきらと反射している。風はないけれどそこそこの波が入って来ていて、黒いウェットスーツを着たサーファーたちの誰かが波を捕まえて乗ったり、捕まえそこなってあきらめる。例えば10人サーファーがいるとしてひとつのいい波にトライするのは2人くらいなんだけど、あれはボードに腹這いになりながら波を待っているその空間でお互いに場所やその他の情報を認識して、誰が乗る番、のような暗黙の了解があるんですかね?

 ジョギングの人と犬を連れて散歩に来た人、投げ釣りの人、そういう人たちがたまにいる。そういう風に見えているものを言葉にして確認しているだけで、ただ歩いている。

 犬って散歩をするためのきっかけ、すなわち動機なのか。それとも犬によって散歩をすることが必須にさせられたわけで、それまでは散歩をすることなどなかったのに、なのか。ま、どっちでも構わない気もするが、毎日犬を連れて海まで来ている人たちに、いつの日か「否応なく」もたらされる(気づいたらもたらされていた)何かがあって、それはきっと宝物のように良いこと・・・のような気がする。たまたま住んでいる地方に××が良く獲れるから、否応なくそれを食べ続けていたら、総じて身体がいつまでも元気だった、というようなことがあるが、この××同様な感じで、犬の効能がありそうだ。

 私はどうしてこの町に住んでいるのかな?とサーファーを見て思う。サーフィンはしないしこれからもしようとは思いもしない、犬は飼う気もないしそもそもマンションの規約で飼うことはできない、この町に仲のいい友人が大勢いるという訳でもない。バブル期のマンションは需要過多で横浜や湘南の新築マンションを片っ端から申し込んだが結果は外れ続け、いまも住んでいるマンションしか当たらなかった、というのが理由のひとつだけれど、でも海のそばに住んでいたかったんだろう。ということはこうやって海を見ながら散歩してときどき写真を撮るというこのことがまさに、この町に住んでいる理由なんだろう。

 せいぜいこのくらいのことは考えたかもしれない。