コロナの頃

 新型コロナウイルスが猛威を振るっていた頃のことを「コロナの頃」と言えば通じるが、これはいつからいつまでですか?2020年の春、3月頃から、五類になった2023年の5月までの3年間なのかな。では私が罹患した2023年の7月下旬~8月上旬は五類以降だったから「コロナの頃」じゃなかったのかといえば、そんなことはなくて、2024年の現在と比較すると、まだまだ脅威だった。実際いちばんひどかったのはいちにちかふつかだったけれど、きつかった。いや、いまでもコロナに罹患するとけっこう厳しいんだろうな。

 最近はカメラを持って街を歩いても、いわゆる街角スナップ写真で、自分が気に入る写真が写る率も実数もずいぶん低下してしまいました。街を歩いていて、視線をあちこち振りながら、森山大道さんは「目はレーダーのように」と言っていたが、ここと思うところでシャッターを押す。速射はデジタルカメラになってAEもAFも手振れ補正もずいぶん進化したし、ISO感度を上げることも容易だから、ずいぶん技術的なところは機械任せで大丈夫になった。残るはどこを撮ろうと思うか、そこにどう肉薄するか、いつシャッターを押すか(大抵は撮ろうと思った瞬間になるべく早く押す方がいいんだろう)、なんだけれど、わたしはノーファインダーも多用しながら、画面内の「構図」をじっくり作ることは、まぁ上の写真のようにその時間的余裕があるときはファインダーを覗くけれども、とにかくじっくり作ることは街角スナップにおいては稀です。そういう撮り方なのに、以前と比べると全然ダメ。街の「見方」が衰えて、面白いというのか、まぁここではそうしよう、面白い場面を見付けたり見極めたりすることが下手になったのか?それとも街で、そういう場面が起きる確率や回数が減ってしまったのか?肖像権問題もあるから、上の写真のように人をシルエットもしくはシルエットになっていなくても後ろ姿、あるいは点景で大勢の方がいてしかもブログに使うときには顔だけ取り出してガウスぼかしを付与したり、というように扱うことに慣れた、というかそう扱うという規定が知らず知らずに自分に出来ていて、それが気に入る写真の減少になっているのかな。もしも街の側にも原因があるのなら「コロナ後」になり、コロナとは関係ないいろんな「所作」にもコロナ的に「こうあるべき」「こうすべき」という規約が、正義感一本やりみたいな論調で暮らしを覆ってしまい、街がそのぶんつまんなくなったってことおあるかもしれない。とかなんとかこんな風に肖像権や被写体側のせいにすることも出来るけれど、実際はやっぱり写真を撮るうえでの「見つける力」「反射神経」のようなことが低下しているに違いない。

 それで最近の写真に使える写真があまりない気がするから、HDDの中へタイムトラベルのように昔撮った写真を見に行く。上の写真も2021年の写真だけど、もっとまえ、十年くらい前の写真はより面白く見える。

 ところで「コロナの頃」はステイホームとか、外に出るのは家族と、または一人で、などとよく言われていて、家にずっといると身体を動かさなくなり不健康だからとたとえばNHKTVでもいつもより筋肉体操的なのが増えていたんじゃないか。そして「コロナの頃」に撮った写真を見てつくづく思うのは、なんだそんな風に言われていたがゆえに、せっせせっせと、万歩計を見ながら毎日ちゃんと「ひとりで」歩いていて、だから家の近所のスナップがものすごく多いんだけど、それはともかく、実は「コロナの頃」の方が、いまよりよほど健康的に運動をしていたんじゃないか?ということです。これは私の個人的なことですよ。

 いまは在宅勤務の日は、一歩も外に出ない日もあり、それなのに「コロナの頃」のように始業前とか終業後に歩いてこようなど露ほど思わなくなってしまい、そういう日の歩数は数百歩足らずじゃないかな。私に関して言えば、だから「コロナの頃」の方がよほど健康的でしたね。飲み会もなかったし、外食もなかったし。

 写真の山影、いちばん奥は富士山、その一つ手前が箱根山、それよりさらに近いところは神奈川県の中郡あたりの丘陵地帯です。