淋しきスナップ

 横浜伊勢佐木町は、この写真の奥の方まで歩いて行くと青江三奈の似顔絵とともにボタンを押すと伊勢佐木町ブルースが流れるように出来ているモニュメントがある・・・いや、ここ十年以上、そこまで行ったことはないから、いまもあるのかどうかは判らない。曲がヒットしていた頃には子供だったが、それでも前奏に挟まる溜息はセンセーショナルで、世間が騒いでいたのを感じたものです。そんな曲のことより、いまでは青江三奈よりも、この通りで若き日の「ゆず」が路上ライブで歌っていたことの方が知られている。十年か二十年前までは、古本屋と中古カメラ屋がぽつぽつとあったから、この通りを歩くのは面白かった。昭和30年代頃の日本の観光地で売られていた絵ハガキを置いてある古本屋があり、そんなのを買って来ては、さらに部分を接写して、しかもカメラを斜めにして絵ハガキの図柄を歪ませたり、深度を浅くして狙ったところ以外をぼかして、遊んだこともある。そんな写真を、当時、毎月一回通っていた写真家須田一政さんのワークショップに持っていくと、須田さんはじめみんなも面白がってくれたものだ。だんだん店が変わり、青江三奈のところまで歩く理由がなくなってしまった。ちょっと寂しいが、誰もがこの通りに来て淋しいわけじゃない。時代を懐かしむだけで、今の伊勢佐木町になじめない、なじもうとしない自分の方が取り残されているってことだ。街がだいぶ殺伐としてきて、この前はこのあたりでカメラを京浜東北線の貨物列車に向けていただけで、撮るんじゃない!そのあたりのみんなが写るじゃないか!と叱られた。上の写真は少しだけ気に入っています。画面左の店の、ヘラクレスが弓を絞って矢を放とうとしているような図柄と、向こうを向いて電話をしてる人の対比がちょっといいんじゃないかな・・・と思った。だけど、どこかの漁港の例えば秋刀魚(でも鰯でも鰤でも鰹でもなんでもいいけど)の水揚げ量が、数十年のあいだにだんだん減ってしまった感じで、ちょっと面白いと感じられる写真の撮れる枚数は減ってしまった。十年二十年間だったら、こんな写真を選ぶことはなかっただろう。すなわち、もっと自分が気に入る写真がたくさんあったろう、と思う。それだって、上記のように街のせいにしているが、私自身の感性の衰えが原因かもしれないな。淋しきスナップだよなあ・・・