谷川俊太郎の「夏が終る」の怖さ

 小学生の頃の夏休み、7/21に「永遠に続くかのように夢多きこれから」だった夏休みが始まり、8/16に一回だけ登校日があり、8/31に夏休みが終わってしまい悲しくなりました。だけど、この「悲しくなる」のまえに、「あれ?もう夏が終わりそうだ」と感じる「哀しくなる」感じがよぎったのは、この登校日前後のことだったと思います。具体的になにか証拠があるわけでもなく、まだ気温は高いのに、秋を感じた日だったのでしょう。夏休みのなかにもさらに真夏の期間というのがあり、それは7/21から8月上旬までだと思うのです。昨日は8/10で今日は8/11、オリンピックが終わる日でもあり、あぁこれで、夏はもう少し続くにせよ、真夏は(いくら温度が高くても)終わるな、と感じます。なんかこう・・・なにが?と聞かれるとよくわかりませんが、上向きのベクトルだったものが下向きに変わるような感じです。

 谷川俊太郎作詞、小室等作曲、の「夏が終る」という曲があり、矢野顕子がカバーもしていますね。夏の終りを歌った歌詞の一番は「あせたような 薄い青空」から詩がはじまり、夏の終りに見えるものが描写されていきますが、二番の冒頭は「なぞのような 人の裏切り 白いよろい戸が 閉じられる」という詩となります。高揚して夢見て語り合った仲間たちのなかに沈滞した気分や曖昧な疲れが生まれて、なにか亀裂が生じ誤解が起きて、目指していたものがぼやけてくるような憂鬱な感じ。この詩から、詩を読んだ人それぞれがそういうちょっと辛い記憶が刺激されるのかな。でもそれがむかしのことだと、それももはや懐かしさを纏ってしまっていて、夏の終りのこととして仕舞われているのかもしれない。三番は「一人たどる 夜の山道」とはじまり、詩の最後に星の名前が並ぶのです、「いてざ オリオン 海王星 スピカ こぐまざ カシオペア」と。ここには夏の夜を彩る、白鳥座のベガや鷲のアルタイル、蠍のアンタレスは出てきません。天の川も出てきません。おおくまざ、ではなく、こぐまざが選ばれ、おとめ座のスピカは春の星の代表です。ましてオリオンは冬の星だと捉えることが多い。だけど実は盛夏から晩夏の明けの東の空にオリオン座が太陽にさきがけて短い間見えるのですね。夏の終り、一人たどる夜の山道とは徒歩なのかな?怖いです。もしかすると自動車で山道をくねくねと辿って進んでいるのか?まぁでもやはり最初に思うのは徒歩ですよね。夜を徹してひとり山道を歩いて行く。熊に襲われたり道に迷ったりしない?と詩の世界から離れて現実的に考えてしまいますが(笑)。

 その結果、明けの空にオリオンを見る。ひとの裏切りに会い、一人で夜の山を登り、たどり着いた展望台、展望台というのも勝手な想像ですよ、その展望台から東の空にオリオンを見た、そんな夏の終り。夏の終りの展望台でその人が「あぁ、夏が終る」と感じる・・・深い歌詞ですね。さすが谷川俊太郎、表面はきれいでかっこいい言葉が選ばれていますが、こう読んでいくと、ふっと怖さとあきらめを感じる。だけどそれでもなぜかまだ未来がある期待も感じさせるところが谷川さんらしさ。カシオペアはぐるぐると北極星の周りを周りながら上がったり下がったりしているし、スピカの春までは秋と冬を越せば、いまはまだ遠いけれど、それは希望のようです。

 小室等の最初から最後まで余韻のなかをずっと漂っているようなメロディもいいと思います。

矢野顕子 夏が終る 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 

 選手たち頑張っていますね、今朝は深夜に起きてしまったので女子やり投げや男子高飛びこみで日本の選手がメダルを取るのを見ました。あるいは自己ベストを出して10位になったやり投げの方や、アジアレコードで入賞になったリレーチームも、自己ベストを更新した走り高跳びの選手も、ほかにも、きっと自分たちの実力をそこでいかんなく発揮できた心には充実と満足があり、それを祝福してあげたい。テレビでは中継されなかった近代五種とやらの選手も快挙だったようです。

 一方でここまでの予選を乗り越え、準備を怠らず、あと数日のその日の前に骨折が見つかって棄権を余儀なくされた選手の悔しさや悲しさを思うと心が痛みますね。少なくともオリンピックを観戦して夢中になっているのであれば、心のなかでヨシヨシと言って慰めてあげましょう。ほかにも思うようには上手く行かなかった選手たちにも。

 にわか評論家になったり、たらればで糾弾したり、するもんじゃない。品位がない。

 

 さぁ、これから少し寝よう。