紫陽花

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茅ケ崎市小出川、鶴嶺通りの赤橋から1キロかもう少し上流にコロナ禍になる以前は「紫陽花祭」をやっていた川沿いの散歩道沿いに紫陽花が植えられている辺りがあったことを思い出し、APS-CサイズセンサーのMLカメラに28mmマクロレンズをくっつけたのを持って、行ってみる。紫陽花はもうピークを過ぎているのか、なんとなく「野の花」と言う感じで続いている。小出川の岸辺からは牛蛙の声が聞こえる。燕も飛んでいく。もう幼鳥も巣立っているのかもしれない。帰り道は川沿いの道をはずれ畑の中の道を選ぶ。家のそばまで戻ると、まだ8時台だというのにテイクアウトのパスタの店が開いている。ちょっと昼にパスタでも食べようかと思い立ち寄る。なんでも(たくさんの)予約が入って朝から仕込む日は店の方もさっさと開けてしまうらしい。野菜のアラビアータのペンネを買って帰る。

帰宅後、ちょっと眠ってしまい、起きるともはや13:00。アラビアータを食べる。すごく美味しいな。首筋を汗が流れる。

今日は2002年の日韓ワールドカップのときのアイルランドチーム記念Tシャツを着ている。新潟までアイルランドカメルーンの試合を息子と二人で観に行ったのだった。帰りに新潟駅前にあった古めかしい洋食屋に入り、タンシチュウ定食を食べた。柔らかく肉厚な。帰りの上越新幹線は何故か車内の明かりが少し落とされていた。それがけっこういい感じだったが、いまもそうなのかな。記念Tシャツは会場で買ったのか、それともどこかのスポーツ用品店で買ったのか。あのときのアイルランドチームは素晴らしかった。大黒柱のロイ・キーンがなにかの理由で招集されていなかったけれど、ロビー・キーンやダフやホランドが、なんていうのか、縦横無尽に走り回り、躊躇なくやるべき攻撃的プレイに集中していた。ベスト16だったかな、PK戦で敗れたような記憶だけれど、おおいに記憶が間違っているかもしれないな。

その記念Tシャツを記念だからとずっと着ないまま飾ったり、箪笥に仕舞ったりして持っていた。しかし、なんか、そんな風に保管しておくって意味があるのかな?と思ったのだ。まぁ、物によっては凄い値段になっていてメルカリで売るといいなんて場合もあるかもしれないものの、これはそういうものでもないだろう・・・。それで今日、そのシャツを着ている。

アラビアータを食べるときに赤茶色のソースが白いTシャツに飛ばないように、ナプキン替わりの手ぬぐいを首から胸元にぶら下げた。その手ぬぐいは、何年か前のペットボトルの伊右衛門茶の付録だったものだ。緑地に白で、伊右衛門の字とペットボトルの絵が描かれている。

いま17:00になった。17:00になると茅ケ崎市や赤とんぼのメロディーを流す。先日、作曲家の山田耕作(耕には竹冠があったような・・・)が赤とんぼを作曲した家があったという場所にたまたま行き着いたことがあった。そうなんですね、そういう歴史があるから赤とんぼが流れるのか。

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ND72

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神奈川県にはダイクマというディスカウントスーパーが1970年頃?もっと前?からあって、たぶんその本店が茅ケ崎駅近くにあった。その後、ヤマダ電機傘下になったけれど、二年か三年前までダイクマとして茅ケ崎のその店は同じ場所でずっと営業していた。その建物が老朽化したので、同じ建物内で一体化していたダイクマとヤマダが閉店して更地になり、いまそこに新しい建物を建てている。再びヤマダ電機になるのか、別の商業施設になるのか、あるいはマンションになるのかは知らない。調べればわかるだろうけれど。マンションになったとしても駅前なので少なくとも一階は商業施設になるんだろう。1970年代の前半、高校生だった頃、隣の平塚市に住んでいて、ときどき電車でひと駅、茅ケ崎ダイクマまで通っていたのは、モノクロの現像用品が揃っていて、いや、現像用品は平塚市の個人営業の写真店にだって売っていたけれど、そこはダイクマらしく安価なものがあったので、たまに買い出しに行っていた。たしか三菱やフジではなくナニワ写真用品のフイルム現像液だったと思うけれどND72と言うのを買っていたのではないか。ちょっと曖昧な記憶だけれど。もしかすると印画紙現像にも転用可能だったかもしれない。コダックのD76とどこがどう違ったのだろうか。

高校の写真部だったとき、最初はベルト式の現像タンクを使っていた。現像ムラが出易いこともあり、少し高いけれどキングパターソンの両溝式タンクに変えた。最初は一本タンクだったが、買いまして二本?三本だっけかな?同時に現像出来るものに変えた。最後に現像タンクで現像をしたのはいつだったろうか。2005年くらいかな。私はモノクロフイルム現像を例えば16歳のときから40年くらい、本数はそれほどなかったかもしれないけれど自分でやっていたが、どうも最後まで、両溝式のタンクであっても気泡ムラなく現像することがなかなか出来なかったな。トントンとタンクの底にショックを与えたり、一定時間おきに攪拌もしたのだけれど。現像を始めるまえに水、もしくは水との親和性が上がるなんとか液(せっけん液的な?)を使うべきだったのか。しかし何十年もやっていて、積極的解決策を模索していないのは、まぁ自覚的には、それほどの大問題になったことはなかったからだろう。ダイクマには安価なアグファのフイルムもたくさん売っていた・・・気がする。

土曜日。晴れ。朝、海まで歩き、海を眺め、ちょっと遠回りして駅前経由で家に戻った。13000歩くらい。途中フラワーコーヒーロースターの狭い店内(定員3名)の3人目の客となりブラジルのホットを飲む。美味しい。最初爽やかだが、飲んだあとにもちょっと濃い香りが残る。飲み進むうちに酸味が加わる。店の女性の方が、コーヒー豆の乾燥の方法について話してくれる。それによって味わいがだいぶ変わるそうだ。せっかく聞いたけれど、三つ教えてくれたその方法の名前をまるで思い出せないのだった。なんだろう、その名前からなにか冗談を言った気がするのだが。コーヒーロースターの隣ではペロリと言う名前のドーナッツの店があり、プレーンのドーナッツを買った。家で食べてみたらすごくふわふわとした食感で、ドーナッツの綿菓子みたいだ。

夕方と夜、小説を読み進む。上下二巻の長い小説。一気呵成に物語が進む。

読みながらCDをとっかえひっかえする。アート・ファーマージム・ホールのLPのときはB面全部だった気がする「亡き王女のためのパヴァーヌ」の入っているCDを聴き、ほかにもアート・ファーマーのCDは二枚か三枚持っているけれど、もっと聴いてみたくなり、アマゾンで同じくジム・ホールと共演している別のCDをポチった。

早朝の海

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晴れた朝のきらきらと輝く光景もいいけれど、この季節の、薄曇りのフラットな光線の光景も悪くないな、と思った。釣りの人はずいぶん朝早くから来ているようだ。イヤホンをするわけでもなく音を出したAMラジオを持って歩いている初老の男性とすれ違う。ラジオの音が私の耳にも届くのは数秒のことだけですぐに男は遠ざかり音は聞こえなくなる。それでも一瞬聞こえたラジオパーソナリティの、何を話しているのか内容まではもちろんわからないその声が、それでもそれがラジオの音だなぁと思うのは何故だろうか。しばらく歩くと今度は十人以上の年配の人たちが集まっている。彼らの真ん中にもラジオが置かれている。ラジオ体操の時刻となり、皆が一斉に両手を伸ばした。ひとつの枯れ木にホオジロが三羽止まっている。私が近づくと二羽は飛び去り、いちばんてっぺんでずっと鳴いている一羽は私には構わずずっと鳴き続けている。途中から国道沿いを歩く。大きな魚の魚拓が張られている釣り道具やはまだ開店していない。ガソリンスタンドには、給油をする車が次々に入って来る。もう通勤ラッシュの時刻になりつつある。早くも洗車をしている車もいる。欧州の車だろうか、なんとなく光景も欧州っぽく見えるのだった。

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つゆくさ

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90年代かな、8mmビデオテープに記録するビデオカメラにインターバルタイマーと言う機能があったので、近所の草むらから開いていないつゆくさの蕾を採ってきて一輪挿しのような花瓶に入れて、開花の様子をその機能で撮ってみた。当たり前だけど蕾から徐々に花が開いて行く様子が撮れた。

テレワークのウェブで参加する会議予定を見たら8時過ぎから18時ころまでぎっしりに近い。今日は蒸し暑くなるらしい。昨日が28℃の30%だとして、今日は同じ28℃でも70%くらいにはなるそうだ。そこで、朝6時台にウォーキングに出る。私より年配の方が三々五々歩いている。畑のある地域に行く。ビニールハウスの中では収穫期を迎えているトマトが生っているが、これからなにかが植えられる予定らしく更地が均してあるビニールハウスもある。トマトが生っているハウスを近寄って覗くことはしない。李下に冠を正さず、である。でも更地のハウスは近寄ってちょっと覗いてみる。屋根のパイプの骨組みが影になっている。明るい乾いた土が見える。ほぉ、と言ってみる。「歩くひと」のように。自転車に乗って突っ走っていく人に何度も出会う。自転車を漕ぎながら同時にスマホ操作をしている人もけっこういる。まぁ、いいとかいけない、とかではなくそれが今の時代だろう。むくどり、ひよどり、しじゅうから、すずめ、はしぼそからす、こちどり、ひばり。畑の真ん中の乾いた土の上でひばりが盛んに囀る。飛び立って羽根を不器用にぱたぱたやりながら囀るのがひばりだと思っていたが、地面にすくっと立ったまま囀る。無人野菜売り場には新たまねぎや青梅やにんにく。畑の片隅に植えられた花々が咲いている。グラジオラス、紫陽花、ストック・・・かな。三十分もすると暑くなり、Tシャツの上に着ていた薄手の夏用カーディガンを脱いで手に持った。

木々はブロッコリーのようだ。保坂和志が小説について書いている本に「ブロッコリーのような木」と言う比喩のことを、否定的に書いていたな。だけどいま知人に借りて読んでいる恩田陸の小説には、ブロッコリーのような森林という比喩があったな。保坂さんは定番となっている比喩を安易に使うことのつまらなさを言いたかったんだっけ。ブロッコリーのような木を背景に手前に赤い橋があり、その上を白い日傘をさした人が歩いていく。

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なんだか写真二枚、直線だらけですね。

枇杷の味

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写真上は最近撮った近所の住宅地の中にある空地にはえた夏草のある風景です。

最近なんとなく部屋にいるときに付いていたふたつのテレビの番組、ひとつはタレントが旬のものを求めて各地に行きその場で農家の方や漁師の方に旬の食材を使った料理を作ってもらい食べて「うまい!」と言う番組、もう一つはスタジオのキッチンで人気の料理研究家が今の季節に相応しい料理をちゃちゃっと作りアナウンサーが笑顔で「出来ましたぁ!」と言う番組。後者はちゃちゃっと出来ることがポイントのよう。という二つの番組で使われていたのが枇杷だった。いまが旬らしい。タレントは枇杷農家の枇杷の木のすぐ横で、もいだばかりの実の皮を指で剥いて食べていた。

それでふと思ったのだが、枇杷を食べたことはもちろんある、あるけれどずいぶん長いこと食べていない。そして枇杷とはどんな味だったのか覚えていないのだった。若いころ、食べ終わった枇杷から出てきた種を植えてみたら芽が出たことがあった。誰かに枇杷を育てるのは縁起が悪いことだと聞いた。本当にそんな言い伝え?があるのかどうかは知らないが、枇杷を育てるのをやめにした。近くの公園のちょっと樹木のあるあたりを靴の先で簡単に掘り返して、そこに少しだけ伸びた枇杷を植えてきたのだろうか?覚えてないな。

夕方、待ち望んでいたメールが来て少しほっとしてから、散歩に出る。茅ケ崎駅まで、遠回りをしながら歩く。途中の八百屋に枇杷が最後の一パックがあったが六個くらいのパックのなかの実のうちのひとつかふたつのもう黒くなっている。次に駅ビル一階の八百屋に行ってみたが、贈答用なのか、大きく傷のない綺麗な枇杷が六個くらいはいった箱売りの高価なものを筆頭に、透明パック売りのものにしても、私の感覚からするとずいぶんと高価に思える値段で売られていた。そこで三階の成城石井に行ってみると、そこに(私の感覚として)極めてリーズナブルに個数と価格のバランスが取れていると思われたパック、しかも最後の一つがあったのでそれを買ってから、またとぼとぼ歩いて帰宅した。

枇杷を水洗いをして数時間冷やしてから、夜になって二個食べてみた。ところが食べれば「あぁ、そうそう、これが枇杷だよね!」と言う風にはならないのだ。いまここで枇杷を食べながらも、どれが枇杷の特徴となる味なのかわからないまま、瑞々しいが味がぼんやりした果実を食べている感じ。もし目隠しをして食べたら、これは枇杷だとわかるだろうか?わかるとしたら実は味より舌ざわりというのかそっちからの類推になりそうだ。唯一覚えていたのは、果肉の中心に集まっている種子と果肉のあいだに薄い境界の皮のような部分があって、食べているとその皮がちょっとした違和感になる。あぁ、子供のころちょっとここが苦手だったな、と言うことだった。

そしてあの駅ビル一階で売っていた高価で大きな枇杷だと、もっと味の特徴がわかるのだろうか?と思った。

街はあちらこちらに紫陽花が咲いている。ずっと前からそうだったっけ?住宅地の各戸の小さな隙間のような場所にも紫陽花がたくさん植えられている。子供の頃に住んでいた平屋の長屋の玄関の両側にも紫陽花が植えられていた。あぁ、それからドクダミもたくさん咲いてますね。こっちは子供の頃かくれんぼで隠れた場所なんかでその香りが漂っていたな。

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季節が先を行く感じ

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五月の上旬、春の薔薇がきれいに咲いているのを例えば平塚の花菜ガーデンで見た。そのあと季節を進み、いまはもう菖蒲の花が満開だそうだ。それから紫陽花も近所を歩いているだけでもそこここにある紫陽花が咲いているのに気が付く。それから6月の20日頃が夏至なのだとすると、いまは一番暗くなるのが遅い季節だ。そして私はなかなか夜にならないこの夏至の頃が大好きだ。

なんとなく覚えているのは高校生の頃だろうか、父が家の前の道で自家用車(たぶんホンダのシビックかなにか)を洗っている、強い西日が差している、父はラジオをすぐ横のブロック塀の上に置いてそこからプロ野球放送が始まっている。私は洗車を手伝っていたのだろうか?それとも通学用の自転車のギアチェンジがうまく行かなくなっているので、仕組みなどよくわかないままに試行錯誤で調整用らしいビスを右に左に回してはギアチェンジの調子を当たっていたのかもしれない。プロ野球が始まったのは午後6時だったか6時半だったか。プレイボールの時刻にまだまだ明るくて西日が差して濃い影を作っているのは夏至の頃だけだ。そして当時応援していた広島カープは初回から衣笠選手や山本選手がヒットを打って幸先よく先制点を入れただろう。なんかそういう場面が思い出される。のんびりした休日の夕刻、まだまだ明るいなかラジオからプロ野球放送が聞こえて、ひいきのチームが点を決めている。父の使うホースからほとばしる水はきらきらと光ってときには虹が見える。そういうのが夏至の頃のイメージになっている。

ところが、今年は、自分が季節に敏感に寄り添って、そういう季節のなかに自分がちゃんと属しているという気がしないのだ。ちょっと待ってよ!まだ準備不足だよ!という感じ。ちゃんと受け入れ状態が整っていない上滑りな気持ちのまま、菖蒲ももうすぐ終わる、紫陽花はまだもうちょっと先にしてほしい感じを持っているのにどんどん咲いてくる。夏至の夕刻らしい時間の過ごし方なんてまだなにもしていないのに、もう夏至に近づいている。

それがちょっと焦燥感のようになっていて、地に足が付いていない感じがするのだった。

 

歩くひと

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写真は2014年にフイルムカメラで撮った写真です。本牧ふ頭あたりだろうか。とある上映会が船の中に作られた劇場で行われ、その終了後に観客が三々五々、帰っていくところ。たぶんキヤノン6Lにスクリューマウントの35mmのレンズを付けていたのではないだろうか。

先日、入院しているときに病室に持ち込んだタブレット端末でNHK+で「歩くひと総集編パート3」(だったか2だか4だかわからないけど)を二回か三回観た。そんなこともあり知人から借りっぱなしになっている谷口ジロー「歩くひとPLUS」という本を本棚から取り出して捲ってみた。なんだか描かれた、歩くひとが歩いているありふれた町は、私の記憶のなかではありふれた町であって、その漫画の絵の中に実際にいまそれらの(漫画に描かれた元となっている)町に行っても、この絵を見るほど安心して町を見ることが出来ないかもしれない。そなわち典型として描かれた絵は安心が出来るものだ。絵の中で学校帰りのランドセルを背負った小学生たちが縦笛をみんなで吹きならしながら歩いている場面があった。縦笛を吹きながら下校したことが私にもあった。1960年代、怪しい映画の案内看板が電信柱に括り付けられている角、漢方の原料となるのだろう子供たちは「蛇屋」と呼んでいた店のショウウインドウ、いつもアメ車のムスタングが止まっている場所、タイヤ工場に沿って続いているコンクリートの壁、そういう横をピーポーと縦笛を吹いて歩いていた。吹いていたのは、音楽の教科書に載っていた曲ばかりではなかったんじゃないかな?例えばブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」の全部ではなくてもあるフレーズだけでも吹けたら、そこを吹いていたのではないかな。

最近も小学生は音楽で縦笛(リコーダー)を習うのだろうか?私の住むマンションのすぐ前のバス通りは近くの小学校への通学路になっている。朝8時台と夕方4時台になると、子供たちが歩いていく。自室の北側の窓から見て、朝は左へ、夕方は右へ。彼らは楽しそうにしゃべりながら通る。ときには歓声を上げて走ったりもする。雨の日でもとても楽しそうだ。雨をものともしないのは雨の通学路にあるものが、水たまりや濡れた自分の服や、傘から落ちる雨粒や、自動車が上げるしぶきが、みなそこになにかの楽しさの要因を持って見えるのだろう。